1 はじめに
自衛隊への名簿提供問題については、京都においても宛名シールの提供が問題となっており、2019年に福山和人弁護士が審査請求を行うなどして取り組んだ経緯があります。このたび、奈良市在住の現役高校生(ニックネーム:RYU)が原告になることを決意し、2024年3月29日に奈良地方裁判所に提訴しました。
被告は奈良市と国で、両者の共同不法行為責任として、慰謝料100万円と弁護士費用10万円の合計110万円を連帯して賠償するよう求める全国初の国家賠償請求事件です。弁護団は北海道から福岡まで13人(うち、関西の弁護士7人が常任弁護団)です。第1回期日は、同年7月2日(火)午前10時30分に指定されました。
2 自衛隊に名簿が提供された事実経緯
従前、自衛隊は、高卒予定者や大卒予定者という募集対象者に対して募集案内を郵送するため、自治体が保有する住民基本台帳を閲覧して、募集対象者の情報(氏名、生年月日、性別、住所。以下「個人4情報」と言います。)を転写していました。ところが、安倍晋三元首相が2019年1月30日の衆議院本会議で、「防衛大臣からの要請にもかかわらず、全体の六割以上の自治体から、自衛隊員募集に必要となる所要の協力が得られていません。」と発言しました。これを受けて、2020年12月18日の閣議決定で「自衛官等の募集に関し、市区町村長が住民基本台帳の一部の写しを提出することが可能であることを明確化する」旨記載した対応方針を定め、2021年2月5日、防衛省と総務省の連名で、都道府県市区町村担当部長宛に、「自衛官又は自衛官候補生の募集事務に関する資料の提出について(通知)」が発出されました。この中で、募集対象者の個人4情報の提供については、自衛隊法第97条第1項、同法施行令第120条の規定に基づき、防衛大臣が市区町村の長に対し求めることができ、住民基本台帳法上、特段の問題を生ずるものではない旨、記載されています。
この通知以降、募集対象者の個人4情報を紙媒体や電子媒体、宛名シールによって提供する地方自治体が増え、2022年には名簿提供に応じる自治体が6割以上となりました。奈良市においても、2022年12月8日の自衛隊奈良地方協力本部(以下、「自衛隊奈良地本」と言います。)による要請を受けて、2023年1月30日、両者は募集対象者の個人4情報を紙媒体で提供する覚書を締結しました。そして、同年2月、奈良市は、自衛隊奈良地本に対し、原告を含む募集対象者の個人4情報を紙媒体で提供しました。募集対象者の人数は、出生の年月日が2001年4月2日から2002年4月1日まで(翌年度22歳になる者)が3,426人、2005年4月2日から2006年4月1日まで(翌年度18歳になる者)が2,993人、合計6,419人でした。
翌年度18歳の方々については、この時点では16歳か17歳の未成年だったということになります。この名簿提供に基づいて、同年7月上旬、原告の元に、自衛隊奈良地本から郵便はがきが配達されました。この時点で、原告は未成年でした。
なお、新規高等学校卒業予定者について、ハローワークによる求人申込書の受付開始日は2023年6月1日、企業による学校への求人申込及び学校訪問開始日は同年7月1日でした。
3 高校卒業予定者に対する職業紹介の規制と自衛隊への適用
高校卒業予定者に対する求人活動については、厚生労働省(旧労働省)が家庭訪問の禁止、学校訪問についての指導、文書募集に対する指導などの基本方針を定めて、社会的に未成熟・未経験な生徒に対する保護、援助という教育的配慮がなされています。生徒と保護者の側からすると、高校卒業予定者への求人活動は学校を通じて教育的かつ公正になされるものであって、生徒の意思に反したり、保護者も全く関知できないところで、求人者から直接勧誘にさらされることはないと認識し信頼しているといえます。
以上のような新規学校卒業者に対する求人活動規制は、自衛官の募集については職業安定法の適用が除外されていますが、生徒に対する教育的配慮や公正な求人ル-ルの必要性は、自衛隊についても変わりはありません。そのため、文科省と厚労省(旧文部省と労働省)は、防衛省(旧防衛庁)に対して、「高等学校新規卒業者に係る自衛官の募集についても、教育的観点から民間事業所と同様に、所定の時期に学校を通じて学校の協力の下に行われることが適当と考えるので、募集活動について行き過ぎないよう特段の理解と協力を願いたい。」旨申し入れ、防衛省(旧防衛庁)はこれを通達として周知しています。
ところが、本件では、原告も保護者も知らない間に原告個人の情報が自衛隊に提供され、学校を通すことなく、保護者を介することもなく、直接未成年の高校生である原告に勧誘文書を送りつけたのです。
4 自衛官の本質及び自衛隊の違憲性
専守防衛の自衛隊は憲法9条2項の「戦力」に該当しないという憲法解釈をとる政府も、自衛隊が軍隊であり、自衛官が兵士であることを認めています。
武力を行使する兵士には、「賭命義務」が課されます。つまり、自衛官には「自らの命を賭けて相手をせん滅(殺傷)する」という武力行使への服従義務があるのです。自衛隊法52条は、服務の本旨として、隊員に「事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に努め」ることを求め、「服務の宣誓」(同法53条)を行なわせており、これにより軍隊(国家)は、特定の個人に対して自己の生命を国家のために犠牲にするよう命じることができます。
このような自衛官の職務に対して、国家の存立は人権保障の目的に仕えるものなのだから、死刑が国家による人権制約の究極であるならば、犯罪の嫌疑すらない個人に対して賭命義務を課して殺傷を命ずることなど許されるのかという疑問は当然に生まれます。憲法13条の「個人の尊重」が日本国憲法の最も重要な根本原理であるところ、憲法9条2項の「戦力の不保持」には、兵器だけでなく兵士が含まれ、殺し・殺されるような国民やその危険や不安にさらされる国民を作らないという趣旨が憲法13条に含まれると解されます。
自衛官の「服務ハンドブック(幹部隊員用・服務参考資料)」では、規律が部隊の生命であること、規律の基礎が戦闘にあること、自覚に基づく積極的な服従の習性を育成することなどが記載されていますが、このような自衛官という職業の特質を多くの国民は理解していません。また、戦闘の規律と平時の規律を同一化していることや、24時間服務し所定労働時間の内外という観念がないこと、「積極的な服従の習性」を育成する指導理念など、民間企業や一般官庁とは全く違う勤務条件であることも多くの国民は知りません。ましてや未成年者や学生はなおさらです。
なぜ軍隊としての自衛隊の実態が知られていないかというと、自衛隊の存在自体が憲法9条2項で不保持を定めた戦力=軍隊であるか否かが長年にわたって争われ、とりわけ軍隊性を否定する政府や自衛隊がその実態を隠したり過少に見せてきたりしたため、リアルな実態が国民に可視化されず、国民の共通認識になってこなかったからです。
憲法9条については、いわゆる個別的自衛権の行使も許されないというのが憲法制定時の政府の解釈でした。この解釈は憲法9条の文言解釈として最も素直であり、これによれば自衛隊は違憲の組織です。
しかるに、1950年6月の朝鮮戦争を契機としてマッカーサー指令により自衛隊の前身である警察予備隊が設立され、その後、1952年保安隊改称、1954年自衛隊創設、1992年PKO協力法成立(初の自衛隊海外派兵)、1999年周辺事態法成立、2001年テロ対策特措法成立、2003年イラク人道復興支援特措法成立と次々とその規模と活動の範囲を拡大させてきました。そして、今では世界第5位あるいは第7位とも言われるほどの軍事力を有する組織となっています。
このような自衛隊の活動範囲の拡大のたびに、自衛隊の違憲性が問われてきました。自衛隊が必要最小限度の実力組織であり憲法上許されるなどと苦しい言い訳をしてきた政府も、自衛隊による実力の行使は、日本の領域への侵害の排除に限定して初めて憲法9条の下でも許されるのであり、集団的自衛権の行使は憲法9条に反して許されないと解してきました。
ところが、政府は、2014年7月1日、これまでの確立した憲法9条の解釈を覆し、集団的自衛権の行使を容認することなどを内容とする閣議決定を行いました。そして、2015年9月19日、国会は、自衛隊法をはじめとする10本の法律の改正法案である平和安全法整備法案及び新法制定法案である国際平和支援法案を強行採決しました。これにより、集団的自衛権の行使の内容、手続が定められるに至りました。
しかし、この集団的自衛権の行使の容認は、他国に対する武力攻撃が発生した場合に自衛隊が海外にまで出動して戦争をすることを認めることであり、その場合に自衛隊が「戦力」であることを否定し得ず、交戦権の否認にも抵触するものですから、政府の見解に立っても違憲です。
さらに、2022年12月16日、政府は、安保3文書と呼ばれる「国家安全保障戦略」、「国家防衛戦略」、「防衛力整備計画」を改定し閣議決定しました。この中で保有するとされた「反撃能力」は、特定の条件下において「相手の領域において、我が国が有効な反撃を加えることを可能とするスタンドオフ防衛能力等を活用した自衛隊の能力」と定義されています。これは、自衛隊が他国の領域において武力行使をすることが解禁されたことを意味しており、自衛隊が憲法9条2項が保持を禁ずる「戦力」に該当することがさらに明白になったのです。
このような任務を遂行する「人的・物的手段の組織体」である自衛隊は、その人的手段である兵士=自衛官もまた違憲の存在だということができます。
5 違法性・権利侵害
プライバシーの権利は、日本国憲法13条に定める幸福追求権の具体的内容の一つとして位置づけられています。当初は、主に私人間における私生活上の事実の公開が不法行為にあたることの法的根拠として「私生活をみだりに公開されないという法的保障ないし権利」などとして捉えられることが一般的でしたが、現在においては「自己に関する情報をコントロールする権利」として捉えられています。
こうしたプライバシー権を具体化する法令として、各地方公共団体において個人情報保護条例が制定され、奈良市においても、2002年に奈良市個人情報保護条例が施行されました。本件名簿提供は、2023年3月31日の条例廃止前に行われたものですので、同条例に照らして許されるかどうかが問題となります。
そもそも、個人情報を目的外に第三者へ提供する行為は、基本的人権たる自己情報コントロール権の制約に繋がるものですから、本人同意が大前提でなければならず、同意なく目的外に個人情報の収集・保有・利用・提供が可能となるには、法令に明確に定められていることが必須となります。また、重要な人権の制約を根拠づけるだけの高い公益性を目的としたものでなければならないことも言うまでもありません。
奈良市は、市議会において、住民基本台帳法11条1項に基づいて募集対象者の個人4情報を提供していると答弁しました。しかし、同条項は、住民基本台帳の一部の写しの「閲覧」を定めた規定であり、同条項に基づいて募集対象者の個人4情報を紙媒体で提供することはできません。なお、同法12条の2において、国の機関が住民票の写し等の交付を請求することができる旨の規定がありますが、これは請求対象者個人の住民票の写し等の交付を求める規定であり、この規定によっても募集対象者の個人4情報を紙媒体で提供することはできません。
自衛隊法第97条1項
都道府県知事及び市町村長は、政令で定めるところにより、自衛官及び自衛官候補生の募集に関する事務の一部を行う。
施行令第119条
都道府県知事及び市町村長は、自衛官の募集に 関する広報宣伝を行うものとする。
施行令第120条
防衛大臣は、自衛官又は自衛官候補生の募集に関し必要があると認めるときは、都道府県知事又は市町村長に対し、必要な報告又は資料の提出を求めることができる。
国は、上述のとおり、根拠法令として自衛隊法97条1項及び同法施行令120条を挙げています。しかし、自衛隊法97条1項は、「都道府県知事及び市町村長は、政令で定めるところにより、自衛官及び自衛官候補生の募集に関する事務の一部を行う。」と定めるのみで、募集事務の具体的内容を定めていません。そして、同法施行令120条は、「防衛大臣は、自衛官又は自衛官候補生の募集に関し必要があると認めるときは、都道府県知事又は市町村長に対し、必要な報告又は資料の提出を求めることができる。」と定めていますが、同条は第七章「雑則」において定められており、その114条から119条までは地方公共団体の募集事務について定めています。120条はこれらの規定を受けて定められているのであり、同条は地方公共団体の募集事務に関する報告や資料の提出について定めた規定だと解釈すべきです。同条に基づいて、自衛官及び自衛官候補生に志願もしていない募集対象者の個人4情報を根こそぎ収集することは許されるものではありません。また、自衛隊法97条1項は個人情報の取得に関して一切触れていないのであり、その下位規範である同法施行令120条により広範な個人情報の取得が認められるという解釈は法の授権の限界を超えるものと言わなければなりません。さらに、そもそも自衛隊の募集事務は、単なる一省庁における利益にとどまるものであり、高度な公益性を有するものとは決していえません。よって、憲法上保障された人権の制約根拠となり得ません。
また、奈良市は除外申請制度を導入していますが、これによっても奈良市の違法性は阻却されません。
まず、本件覚書締結及び本件名簿提供は、法令等に基づく場合とは言えず、また、本件においては、本人の同意も存在しません。外部提供の例外要件はあくまで本人からの積極的な同意があることですが、除外申請制度は、本人からの申請がなければ自衛隊に対して個人4情報を提供するというものですから、その原則と例外とを逆転させるものです。
自衛官は国家が正当化する暴力の行使に従事しますが、そういうことに自分は関わらないと忌避しあるいは強く拒否する国民は多くいます。また、違憲ないし違憲の疑いのある自衛隊に関わるようなことはしたくないと考える市民も少なくありません。
除外申請制度であえて提供を回避した市民は、自衛隊に対する忌避的な感情を持つ市民として分類されることとなり、自衛隊はかかる市民をリスト化し、監視を始める蓋然性が高いと言えます。自衛隊が住民基本台帳の写しを閲覧して提供された名簿と照合すれば、除外申請制度を利用した市民の氏名、生年月日、性別、住所を割り出すことが可能です。よって、奈良市が、除外申請制度を認めつつ、自衛隊に対して募集対象者の名簿を提供する行為は、非暴力の価値観や反戦平和の思想・信条を持って自衛隊を忌避する市民の住所、氏名などを積極的に炙り出す効果を伴うものですから、思想良心の自由(憲法19条)の一つである「沈黙の自由」の侵害となり、違憲です。除外申請制度によっても奈良市の違法性は阻却されません。
このように、奈良市による個人情報の提供が違法である以上、それによって国がその個人情報を取得したことも当然違法となりますし、違法に取得した個人情報を保有・利用することもまた違法となります。したがって、自衛隊奈良地本が、奈良市と上記覚書を締結し、それに基づいて本件名簿提供を受けて、その名簿を利用して原告に募集案内の郵便はがきを発送したことは、個人情報保護法69条1項に違反します。
以上の奈良市による違法な個人情報提供行為、及び国による違法な個人情報取得・保有・利用行為は一連一体のものであり、この奈良市と国の共同の不法行為によって原告に損害を加えたのですから、奈良市と国は、連帯して原告の損害を賠償する責任を負います。
こうした奈良市及び国による違法な行為によって、原告のプライバシー権・自己情報コントロール権は著しく侵害されました。奈良市及び国の行為には国家賠償法上の違法があり、原告に対する損害賠償が認められなければなりません。
6 全国的な取り組みを
原告は、「自衛隊から勧誘のはがきが届いたことは、やっぱり怖いなと思っています。全国で自分と同じような年齢の若者の個人情報が自衛隊に提供されているのはおかしいと感じています。自分が原告になることで、若者の個人情報提供を止めるようにするために、少しでもお役に立てるのならという気持ちで原告になることを決意しました。」とコメントしました。また、原告の家族(親)は、「保護者の承諾なく、未成年の子どもにこのようなことを行った奈良市と自衛隊に怒りを覚えます。」「自衛隊に個人情報を提供する前に、本人や保護者に『自衛隊に個人情報を提供することに同意します』と同意を取るべきです。」とコメントしました。
自衛隊への名簿提供問題は、全国の自治体で関係する問題です。是非、奈良の裁判にご注目いただくとともに、原告や家族(親)の思いを汲んでいただき、自衛隊名簿提供問題について地元の運動を広げていただくようお願いします。この問題についての学習交流会が日本平和委員会のYouTubeに当日配付資料とともにアップされていますので、お時間のあるときにご視聴ください。