最高裁で勝訴
2021年5月17日、最高裁第1小法廷は、建設アスベスト訴訟(神奈川1陣、東京1陣、京都1陣、大阪1陣)について、国と建材メーカーの責任を認める原告勝訴判決を言い渡した。
国の責任について
最高裁は、国の責任について、①屋内作業者に対しては1975年10月1日~2004年9月30日まで、②吹付作業者に対しては1972年10月1日~1975年9月30日まで、防じんマスク着用と警告表示の義務付けを怠った責任があると判断した。
また最高裁は、警告表示義務は、物の危険性又は場の危険性に着目した規制であって、危険物を扱う者が労働者か否か、或いはその場で作業する者が労働者か否かで危険性が変わるわけではないとして、それらの規定は労働者のみならず、労働者でない建設作業従事者も保護していると正面から認めた。
建設業界では、コスト削減のため実態は労働者と同じなのに、形式上独立事業者扱いとされる一人親方が約3割にも上るが、彼らは「労働者」でないため労働法の適用外とされ、そこに労働災害が多発していた。安衛法の射程範囲を「労働者」以外にも拡げた今回の判断は、そうした建設業界の構造的問題にメスを入れるものだ。
のみならずあらゆる産業で「雇用によらない働き方」が蔓延している今日、働く者の命や健康の保護にインパクトをもたらすものといえよう。
建材企業の責任について
企業責任についても、最高裁は、主要なアスベスト建材企業8社について、吹付作業者に対しては1972年10月1日から、屋内作業者に対しては1974年1月1日から、各建材の販売終了時まで、警告義務違反を認めた大阪高裁判決を維持し、共同不法行為責任を認めた。
長年にわたって多数の現場を渡り歩いてきた建築職人にとって、加害企業や建材の特定は難しく、因果関係の立証が企業責任追及の壁になっていた。その点は、札幌、東京、横浜、京都、大阪、福岡の6地裁判決で、企業の責任が認められたのが京都地裁だけだったことに端的に現れている。
そこで、我々は、アスベスト建材に関する国交省データベースに基づいて各職種別の主要取扱建材を明らかにし、次に原告本人尋問の結果や被告の反論も踏まえて取扱建材を絞り込み、さらに建材の市場占有率(シェア)資料に基づいて、シェア上位企業の建材が現場に到達した可能性が高いことを主張立証した。最高裁は、その手法の合理性を認め、石綿建材の到達の立証は不要として立証責任の転換を図り、被告企業らに民法719条1項後段の類推適用による共同不法行為が成立するとした。これは共同不法行為論の新たな地平を切り拓くものと言える。
判決の問題点
大きな意義ある判決だったが、他方で、屋外工の救済が認められなかったことは大きな問題点だ。京都地裁判決・大阪高裁判決は、産業衛生学会が平成13年に過剰生涯発がんリスクが10-3となる評価値0.15本/㎤を上回る屋外粉じん濃度測定結果があったこと等を理由に、平成14年1月1日~平成16年9月30日までの期間、屋外作業者に対する国の責任を認めたが、最高裁はこれを覆して屋外工の救済を拒否した。最高裁は、0.15本/㎤は法令の規制値ではなく学会の勧告に過ぎないことや、それを下回るデータもあったこと、屋外は屋内と異なり風等により換気されること等を挙げて、屋外の危険性に関する予見可能性を否定した。
だが不法行為の要件たる予見可能性とは、危険性の確定的認識ではなく、あくまで予見できたか否かという問題だ。産業衛生学会の評価値を上回る屋外測定データがあった以上、危険性は予見できたはずであり、その評価値が法令の規制値でなかったとか、それを下回るデータがあった等の事情は予見すらできなかったことの理由にはならない。しかも屋根上は外気があっても、電動工具を使って建材を切断すれば、粉じんは20~30㎝しか離れていない作業者の口や鼻を直撃する。屋外工の粉じん作業の危険性を過小評価するのは現実をみない空論と言わねばならない。また国は、平成15年7月22日に主に屋根工事に従事していた屋外工について、労災認定を行っており、遅くともこの時点で国が屋外作業の危険性を予見できたことは明らかだ。
この点は、今後も続く2陣訴訟を通じて是正を求めていきたい。また司法が屋外工の救済を拒否するなら、政治が分け隔てのない解決を図ることが求められる。
国との和解
最高裁判決を受けて、翌5月18日、菅首相は総理官邸で原告団・弁護団と面会して謝罪した。そこには京都一陣原告の義經さんも参加し、首相から直に謝罪を受けた。同日夜には、田村厚労大臣が、与党のプロジェクトチーム同席の下、原告団・弁護団に直接謝罪し、国との和解に関する基本合意書に調印を行った。この合意を受けて、現在各地で係属中の2陣訴訟・3陣訴訟について、国は早期の和解解決に応じて、原告らに一人最大1300万円の和解金と弁護士費用、長期の訴訟負担を考慮した解決金を支払うこととなった。
また6月9日には、石綿被害建設労働者給付金支給法(以下「給付金支給法」という)が成立した。同法は2022年4月までに施行される見通しだ。これにより、国は、未提訴の被害者に対しても、1975年10月1日から2004年9月30日までの間に屋内作業に従事した者か、1972年10月1日から1975年9月30日までの間に吹付作業に従事した者で、石綿関連疾患に罹患した者又はその相続人に対して、病態に応じて一人550万円から最大1300万円の給付金を支払うこととなった。これにより、裁判によらない早期解決を求めてきた被害者らの願いは大きく前進することになった
まだ全面解決ではない
2008年の東京一陣の提訴から13年、2011年の京都1陣の提訴から10年の長きにわたる闘いに一つのけじめがついた。しかしこれは全面解決ではない。主犯とも言える建材企業は依然として和解には加わっておらず、各地の2陣・3陣訴訟では今なお争い続けているからだ。企業に対しては、無益な争いを続けるのではなく、責任を認めて早期解決に向けて足を踏み出すよう強く求めたい。
この点では、給付金支給法附則2条に「国以外の者による・・・補償の在り方について」検討課題とする定めが置かれたことが重要だ。これは企業を巻き込んだ全面解決をかちとる橋頭堡となるだろう。
成果をかちとった原動力
この事件は2012年5月25日、横浜地裁の全面敗訴判決からスタートし、東京地裁で国責任をこじ開け、京都地裁で企業責任に風穴を開け、福岡地裁で違法期間の始期を昭和56年から昭和50年に前倒しし、札幌地裁では賠償額の大幅上積みを勝ち取り、大阪高裁で国責任を1/2に拡げ、東京高裁ではとうとう一人親方の救済も勝ち取った。
当初は、保護対象を「労働者」と明記する安衛法による一人親方の保護や、因果関係の立証困難な企業の共同不法行為等については、十分な理論的確信があったわけではなく、本当に勝てるのか?という思いがいつも頭をよぎる苦しい闘いだった。
それでも研究者の力もお借りして、全国で団結して一歩ずつ一歩ずつにじり寄るような裁判闘争を進めてきた。全建総連や京建労など支援組合も100回を超える議員要請や地方議会の賛同決議運動などに取り組み、世論喚起に大いに奮闘した。
金も権力もない我々にとっては、汗をかき知恵を絞ること、団結すること以外に術はない。それらを愚直にやってきた結果が、今日の成果をもたらしたのだと思う。
さいごに
京都の原告団長の寺前さん、副団長の青山さん、岩木さんはもういない。約7割もの被害者が志半ばに亡くなっている。寺前さんは、亡くなる直前、病床で私に手を合わせて「最後まで頑張れずにすみません」と言って旅立った。我々は彼らの思いを背負ってここにいる。いわばこれは彼らの文字どおり命懸けの闘いによって勝ち取られた成果だ。そのことを率直に喜び、亡くなった方々の墓前に捧げたい。
京都弁護団としても引き続き2陣訴訟において、企業も含めた全面解決をかちとること、無用な線引きを持ち込まない分け隔てのない救済を図ること、埋もれている被害の掘り起こしと救済のために全力で奮闘する決意である。今日まで支えて頂いた皆様に心から感謝申し上げるとともに、引き続きのご支援をお願いしたい。
【追記】
なお、国に対する給付金請求のご相談については、ホームページ(https://asbestos-kyoto.com/)のお問い合わせフォームまたはお電話(電話075-256-1891(京都法律事務所内))にて、京都アスベスト弁護団までお問い合わせ下さい。