オーバーホテルの嵐に抗して~京都には、もうこれ以上ホテルはいらない
中島 晃(弁護士、京都・まちづくり市民会議事務局代表)

京都のまちを襲うホテルラッシュ

 私の事務所のある烏丸通では、旧商工会議所ビルの跡地に「(仮称)烏丸通ホテル」の建設工事が進行中であり、烏丸通をはじめ御池通周辺などを含めて、いま次々とホテルが建設されており、ひっきりなしに工事車両が出入りしている。

 このままでは、人々の暮らしと結びついた町並みや景観など京都らしいたたずまいが、ホテルラッシュによってのみ込まれてしまうのではないかと危惧するのは私だけではあるまい。

 京都市は2016年の時点で、市内の宿泊施設の客室の総数を20年までに4万室にするという目標をたてていたが、それが現時点で大巾に超過し、すでに6万室を超えるに至っており、明らかにオーバーホテルとしかいいようのない状況になっている。こうしたオーバーホテルが、これまで多くの観光客に親しまれてきた既存の旅館やホテルなどの経営を圧迫するものとなっていることはいうまでもない。

 しかも、こうした事態を招いたのは、地域住民の共同財産である学校跡地をホテル用地に提供し、あるいは二条城や仁和寺など世界文化遺産周辺にホテルをよびこむなど、京都市がやみくもにホテル誘致策をとってきたことにあることは、いまさらいうまでもないところであろう。

京都のまちに広がる閉鎖空間

 これまで京都市内にあったホテルの多くは、市民に開かれた都市空間を提供していた。ホテルのロビーは待ち合わせの場所になり、喫茶室やレストランは宿泊客でなくとも誰にでも自由に利用できた。こうして、ホテルは京都のまちに住む人々と京都を訪れる観光客や宿泊客とのふれ合い場所でもあった。

 ところが、最近建設されたホテルの多くは、市民がホテル内に自由に立ち入ることができない構造になっている。こうしたホテルのはしりになったのは、旧ホテルフジタの跡地に建ったリッツ・カールトン京都であり、高級感を演出するために手だてとして、宿泊客とあらかじめ予約した者でなければホテル内に立ち入ることができないような仕様になっている。

 このように京都のまちに市民が自由に立ち入ることのできない閉鎖空間が広がることは、市民の生活空間の中に異質なものが入り込むことを意味しており、ホテルなどの宿泊施設から人々を排除し、京都を訪れる観光客と市民とのふれ合いの機会を失わせるなど、その弊害は決して無視できるものではない。

京都観光をゆがめる富裕層目当ての「超高級」ホテル

 新型コロナウィルスのパンデミック、世界的規模での流行拡大によって、外国人観光客を大量によび込むというインバウンド頼みの観光政策が破綻する中で、新たに登場してきたのが、コロナ後を見すえ、外国資本や東京資本などによる、富裕層を目当てにした「超高級」ホテルの建設である。

 例えば、世界文化遺産二条城の東側に開業した「ホテルザ三井京都」は、最高級スイートルーム(1室)の宿泊料が1人1泊130万円だという。こうした富裕層を目当てにした「超高級」ホテルが京都市内に相次いで出現することは、必然的にホテル周辺での地価の上昇をひきおこし、市街地での賃料の高額化や固定資産税等の負担増を招き、市民が街中で安心して住み続けることを困難にするものである。

 そればかりではない。さきに述べた超高額の宿泊料のスイートルームの出現は、格差社会の解消に逆行するものであり、こうした「超高級」ホテルが世界文化遺産の周辺に相次いで出現して、そのロケーションを一人占めにすることは、京都観光のあり方を大きくゆがめるものであって、将来に禍根を残すものといわなければならない。

緩和マネーがひきおこしたホテルバブル

 こうした京都でのオーバーホテル現象の背景には、世界的な規模で広がる金融緩和によって生み出された緩和マネーがある。この緩和マネーが株式市場に流れて、実体経済とかけ離れた株高を演出する一方で、金融緩和と株高で得た利益が不動産投資に向かう中で、日本では京都「ブランド」を売り物にした富裕層観光によって、手っ取り早く「稼ぐ」ことを目当てにして、次々とホテルが建設されてきているのだろう。いわば、緩和マネーによってひきおこされたホテルバブルが京都のまちを直撃して、オーバーホテル現象を生み出している。

 しかも、こうした緩和マネーを京都によびこもうという動きが京都の経済界の一部にあることも見逃せない。例えば、仁和寺門前のホテル計画にゴーサインを出した地元のまちづくり協議会の代表が京都の金融業界のトップにいた人物であることは、そのことを象徴するものではないだろうか。

 このように見てくると、いま、こうしたオーバーホテルを食い止めなければ、市民がさまざまな努力を積み重ねる中でつくり上げてきた京都らしい町の趣やたたずまいがホテル事業などの国内外の事業者の食い物にされて、失われてしまうことになる。その意味で、いま私たちは、緩和マネーによるホテルバブルと対峙し、こうした資本の横暴といかに立ち向かうか問われている。

ホテルバブルに加担する京都市行政

 京都のまちを襲うホテルラッシュの背景には、緩和マネーによってひきおこされたホテルバブルがあることはさきに述べたとおりであるが、それだけではない。

 こうしたホテルラッシュを生み出しているのは、門川市長を先頭にして富裕層観光を積極的に推し進めている京都市行政にほかならない。いわば、行政がホテルラッシュに加担し、その共犯者ともいうべき役割をはたしている。

 京都のまちは、これまで何度か乱開発とまちこわしの嵐に襲われ、その度に、行政がこれに対する有効な防止策をとらずにいることに対して、行政が京都の破壊に手を貸しているといって市民の批判をあびてきた。しかし、今回はそれにとどまらない。行政が自ら率先して先に述べたようにホテル誘致策をとって、オーバーホテルを推し進めている。その意味で、行政がはたしている役割は犯罪的であると言っても過言ではない。

 京都市政は、市民が共同の力でつくり上げた「新景観政策」の規制を緩和し、高さ制限などをゆるめる一方で、暮らしの環境を守ってほしいと願う切実な市民の声には背を向けて、市民の暮らしの防波堤としての役割を完全に放棄をしている。こうした京都市政のあり方は、いまきびしく問い直される必要がある。

結び~京都には、もうこれ以上ホテルはいらない。

 今年6月26日、世界文化遺産・仁和寺の門前に計画されているホテル計画をはじめ、ホテルの建設ラッシュによる京都の景観・住環境の破壊と観光政策のあり方を考えるシンポジウム「京都の歴史遺産 過去・現在・未来―京都にはもうホテルはいらない」が開催された。

 このシンポジウムでは、実行委員会の広原盛明元京都府立大学学長が冒頭発言の中で、「京都は戦後2度、重大なまちづくりの課題に直面しており、観光バブルがはじけた今が第3の時期だ」と指摘し、市民によるまちづくり参加をよびかけた。

 これをうけて、宮本憲一大阪市立大学名誉教授が「観光公害と歴史文化遺産」と題して講演し、「歴史的文化遺産は、文化財本体と緩衝地が一体で選択される。原風景の維持が基本だ」と述べ、「仁和寺前ホテルは原風景にそぐわない。京都市は経済主義に偏る観光政策を見直すべきだ」と指摘した。

 また、都市計画家の中林浩氏は、世界文化遺産制度の観点から講演を行い、都市がまるごと世界遺産になる例などを示し、「京都は、洛中と三方の山まるごと文化財都市だという観点が重要。少なくともバッファゾーン(緩衝地帯)を厳密に守る必要がある」と強調した。仁和寺前ホテルの問題や、番組小学校の跡地がホテルに提供されている問題などに取り組む市民らの発言をうけて、このシンポジウムで「ノーモアホテル・京都宣言」とするアピールが採択された。

いま、ホテルラッシュによる市民の暮らしの環境、町並みや景観などの歴史的遺産の破壊が進行している深刻な状況が明らかになってきている。こうした中で、京都にもうこれ以上ホテルはいらないという声を大きく広げ、いまこそ京都を愛するすべての人々の知恵と勇気を結集して、オーバーホテルによる京都破壊をこれ以上許さない取り組みの前進を図ることがいま何よりも強く求められている。

(追記)
 いま、京都でオーバーホテルの嵐に抗して、住民の暮らしの環境と京都にふさわしい町並みや景観を守るたたかいの最前線にたって奮闘しているのが、「世界文化遺産仁和寺の環境を考える会」などに結集する仁和寺周辺に居住する人々である。 京都市当局は、仁和寺門前のホテル計画について、上質宿泊施設誘致制度を使って建物の延床面積を緩和し、特例を用いて規定の倍近くの面積を認めようと、この制度の適用第1号に選定した。

 この選定にあたって、「有識者会議」はさきほど述べた「環境を考える会」などの活動について、「残念である」との講評を発表して攻撃を加えるなど、むきだしの敵意をあらわにしている。

 しかし、このホテルを計画している共立メンテナンスは、大阪府守口市の学童保育で指導員を雇い止めする一方、労働組合との団交を拒否して、大阪府労委や中労委から救済命令がだされるなど、労働者の働く権利を公然とふみにじっている。こうした人権無視の事業者の計画しているホテルが、京都市の「上質宿泊施設」に該当するといえるのか。そのうえ、共立メンテナンスは、有価証券報告書にこの事実を隠蔽するために虚偽の記載まで行っている。

 このような無法行為を繰り返す共立メンテナンスのホテル計画に「上質宿泊施設」のお墨付きをあたえることなど論外であろう。京都市民の良識と英知を結集して、法令違反を重ねている共立メンテナンスのホテル計画ノーの市民世論を広げていくときだと考える。