新・生存権裁判判決の意味するもの
~貧困の実態を見ず、厚生労働大臣の思うままにいのちの基準が決められてよいのか~
尾藤廣喜(新・生存権裁判弁護団長・生活保護問題対策全国会議代表幹事)

新・生存権裁判判決の内容

 2021年9月14日、京都地方裁判所(増森珠美裁判長)で、新・生存権判の判決が出された。

 この裁判は、2013年から15年にかけて、厚生労働大臣が行った生活扶助基準平均6.5%、最大10%の引き下げ(以下「2013年引き下げ」という。)が、憲法25条、生活保護法8条(基準及び程度の原則)及び同法9条(必要即応の原則)に違反しているとして取り消しと損害賠償を求めている裁判である。全国29の裁判所で原告は1000名を超えており、京都では、42名が原告になっている。

 全国的には、生活保護制度がまさに「いのちのとりで」となるものであるところから「いのちのとりで裁判」と呼ばれているが、京都では、生活保護基準の老齢加算と母子加算が削減・廃止された際に、これを争った裁判が「生存権裁判」と呼ばれたところから、新しい生存権裁判という意味で「新・生存権裁判」と呼んでいる。  京都の判決は、名古屋、大阪、札幌、福岡に続く5件目の地方裁判所判決であったが、名古屋、札幌、福岡は敗訴であったものの、大阪は画期的な勝訴判決だっただけに、勝訴判決が期待された。しかし、結果は原告の請求を棄却する敗訴判決であった。

2013年引き下げの問題点

 2013年引き下げの第1の問題は、引き下げの前年(2012年)12月の総選挙で自由民主党が10%生活保護基準を引き下げることを選挙の公約にしており、その後、これに沿った形で厚生労働大臣が引き下げたが、このようなことが許されるのかという問題である。

 本来、生活保護基準は、憲法25条により、「健康で文化的な最低限度の生活を保障する」ものでなければならず、また、生活保護法8条2項によって「要保護者の年齢別、性別、世帯構成別、所在地域別その他保護の種類に応じて必要な事情を考慮した最低限度の生活の需要を満たすのに十分であって、且つ、これをこえないものでなければならない」とされている。したがって、「健康で文化的な最低限度」の基準を科学的、実証的に判断することなく、政治的な理由で引き下げの結論を先に決定し、これにしたがって下げるということ自体が認められていない。

 さらに、この引き下げは、金額では670億円にもなるが、このうち90億円が低所得層との比較均衡を理由とする減額(ゆがみ調整)分であり、580億円が08年から11年までの間の物価の下落を考えた減額(デフレ調整)分であるとされている。しかし、この580億円もの引き下げの理由となっている大幅な物価の下落(デフレ)が本当にあったのかどうかというのが、第2の問題である。

 もともと、物価の下落率は、総務省統計局が使用している「消費者物価指数(CPI)」を使うのが普通であり、これによれば、この間の下落率は2.26%とされている。ところが、厚生労働大臣が主張している物価の下落率は、4.78%と異常に大きなものになっている。厚生労働省は、その理由について、独自に「生活扶助相当CPI」という生活保護利用者だけに該当する消費者物価指数を作り上げ、その結果の下落率だと説明している。しかし、これが本当に妥当な考え方なのかという問題である。

 また、第3の問題は、生活保護基準の在り方を検討した専門家の審議機関である社会保障審議会生活保護基準部会(以下「基準部会」という。)では、このデフレを計算に入れること自体が全く議論にすらなっていなかったにもかかわらず、厚生労働省の事務当局の判断でこれが突然取り入れられ、580億円もの引き下げがなされているということの問題である。

自由民主党の公約はどうできたのか

 もともと、10%基準引き下げという自由民主党の選挙公約は、2012年5月に片山さつき議員など同党の一部議員が、人気お笑いタレントの母親が生活保護を利用していることを「不正受給」であるとして追及し始めた生活保護バッシングをきっかけに作られたものである。

 ここで問題とされた成人した子の親に対する「扶養義務」は、生活扶助義務と言われ、その程度は「(子どもが)社会的地位にふさわしい生活を成り立たせた上で余裕があれば援助する義務」とされている。しかも、生活保護法では、扶養がなされた場合にその範囲内で保護費の額が減額されるものであり、この場合には、当該お笑いタレントは話し合いで決めた額を「仕送り」しており、不正受給でも何でもないケースであった。にもかかわらず、自由民主党の一部議員は、「生活保護では、不正受給が蔓延している」「生活保護を受けても『恥』だと思わないことが問題」「保護基準が高すぎる」などと、根拠のない攻撃を繰り返した。そして、これに多くのマスメディアが安易に同調し、生活保護に対する否定的な評価が蔓延した。その中で、生活保護基準を下げなければならないとの根拠のない主張がなされ、これが公党の選挙公約にまでなったのである。

 このような経過で作られた虚構に基づく公約を根拠に「保護基準」が下げられて良いのだろうか。

大幅な「物価の下落」(デフレ)が本当にあったのか

 先に述べたとおり、総務省統計局が使用している「消費者物価指数(CPI)」と「生活扶助相当CPI」では大きな開きがあるが、そのからくりを分析してみると、以下のように全く酷いものである。 

①生活扶助相当CPIは、テレビやパソコンなど生活保護世帯ではほとんど購入しない物を、一般の世帯と同様に購入するものとしてこの値下がり分を過大に反映して評価している。

②もし、物価指数を評価するとしても、前に生活扶助基準が改訂された直近の時期である2004年を比較年として選択すべきであったが、厚生労働大臣は、恣意的に極端に物価が高くなった2008年を選択しており、異常に下落率が高くなるように操作している。

③しかも、2008年から2010年にかけてはパーシェ式、2010年か ら2011年にかけてはラスパイレス式という2つの異なる計算方式を合わせて、下落率を大きくしているが、これは、不合理な計算方式であり、消費者物価指数作成の国際基準に反する。

 このような問題ある手法を重ね合わせることによって、「生活扶助相当CPI」は何と4.78%もの異常に大きな下落率になっているのである。元中日新聞の編集委員の白井康彦氏は、これを「物価偽装」と呼んでいる(1)。

基準部会の無視は許されるのか

 2013年引き下げでは、デフレに基づく引き下げ分として580億円にものぼる引き下げがなされているが、この引き下げの内容は、基準部会では全く議論すらなされていない。検討結果の内容では、むしろ単身の高齢者については、基準の引き上げすら必要であるとしていたのである。

 これについて基準部会の部会長代理であった岩田正美日本大学名誉教授は、名古屋地裁で「(基準部会では、デフレ調整を)容認などはしていません。議論もしていないわけですから」と証言している。

新・生存権裁判判決の内容は

 にもかかわらず、新・生存権裁判判決では、第1に、私たちが最も力を入れて訴えた2013年引き下げによる原告(生活保護利用者)の生活への影響については、一言も触れていない。つまり、引き下げによって生活保護利用者の生活が「健康で文化的な最低限度の生活」が保障されていると言えるかどうかを全く検討すらしてないのである。

 また、第2に、生活扶助基準を引き下げるにあたっては、老齢加算の削減・廃止が争われた生存権裁判の最高裁判所判決(2012年4月2日)で、その引き下げに「統計等の客観的な数値等との合理的関連性や専門的知見との整合性」がない場合は違法となるとの判断がされており、これが引き下げの歯止めとなっている。

 ところが、判決では、このような最高裁判所判決の判断枠組みが取り払われ、大臣の裁量によって全て決定することができるとしている。

 しかも、生活保護法8条2項や9条で基準決定の要件が定められているにもかかわらず、これを考慮しなくても問題ないとして、明らかに法の定めを無視している。

 さらに、厚生労働大臣が基準部会の検討を経ずに引き下げを決めても、法に基準部会の検討を経なければならない規定がないから、大臣が独自の判断でデフレを考慮しても問題ないとしている。

 また、物価指数の標準年をどの年とするかについても、厚生労働大臣の裁量の範囲で決めたもので問題ない、さらに、2つの異なる計算方式を合わせて計算しても、これまた裁量の範囲内で問題ないとしている。

 そして、デフレ調整の品目数や指定品目を選ぶについても、判断の過程及び手続に誤りや欠落があったとは言えず、違法ではないとしている。

 そのうえ、一般のCPIの物価下落が2.26%とされているにも関わらず、生活扶助相当CPIの下落率が4.78%も下落していることの矛盾については、全く触れようともしないのである。

 つまり「統計等の客観的な数値等との合理的関連性や専門的知見との整合性」があるかどうかについては、検討の埒外にしたのである。

 そして第3に、自由民主党が掲げた生活保護費の10%削減という政権公約を実現することを考慮に入れた点については、この公約が「国の財政事情や国民感情を踏まえたものと認められる」などと根拠なく決めつけて、この公約を考慮に入れても問題がないとまで言い切っているのである。

最低最悪の判決を乗り越えるために

 生活保護基準は、生活保護利用者の生活に直接影響するだけでなく、最低賃金、年金の水準、就学援助、住民税非課税限度額などと関連しており、国民生活の最低基準(ナショナルミニマム)を決めるものとして、全ての市民に重大な影響を及ぼすものである。

 2021年2月22日の大阪地方裁判所の判決は、最高裁判所の2012年4月2日判決に基づいて、①「デフレ調整」による引き下げの基準年を世界的な原油価格や穀物価格の高騰を受けて特異な物価上昇が起こった2008年としたことに問題がある、②生活扶助相当CPIについては、生活保護世帯では通常購入することのあまりないテレビやパソコンを一般の世帯と同様に購入するというという前提で計算しているところから、下落率が著しく大きくなっていると認定して、「統計等の客観的な数値等との合理的関連性や専門的知見との整合性を欠いている」として、違法であるとの原告ら勝訴の判決を下した。京都地方裁判所判決とは真逆の結論である。

 京都地方裁判所判決は、原告の生活実態を全く検討すらしていないこと、厚生労働大臣の裁量を極めて大きく認めていることから、最低最悪といわれた名古屋地方裁判所判決(2020年6月25日)の内容をさらに悪くしたものである。

 私たちは、この判決の内容をそのまま認めるわけにはいかないと、9月22日に控訴した。

 国の政策を根本から変えることは並大抵のことではないが、2012年の「生活保護バッシング」が行われた当時と、コロナ禍の下、生活保護制度に対する世論は大きく変わっている。

 2021年8月のメンタリストDaiGo氏によるYouTubeでの生活保護利用者を侮辱する発言は、抗議により動画が削除され、同氏がネット配信で謝罪するに至った。今、厚生労働省も生活保護の利用が権利であるとの訴えをHPで行っている。

 また、生活保護申請を窓口で規制する「水際作戦」の根絶を求める声も高まっているし、2012年の「生活保護バッシング」の契機となった「扶養照会」についても、不要で有害な照会の廃止を求める運動が一定の成果をあげている。

 また、日本弁護士連合会及び私たちは、「生活保護法」という名称ではなく、権利性を明確にし、生存権の重みを十分に保障するに足りる内容を持つ「生活保障法」(2)に変えていく必要を訴えている。

 このような「生活保護は権利」との訴えを全国の仲間とともにもっともっと広げ、保護基準の透明性の確保を訴え、勝利を勝ち取りたいと決意している。

(1)「物価偽装」の詳細な内容は、生活保護費大幅削減のための物価偽装を暴く:白井康彦を参照(http://hinkonkakeiken.com/

(2)「生活保障法」については、https://www.nichibenren.or.jpの生活保護法改正要綱案(改訂版)を参照。