日野町事件 再審開始決定から理不尽な
大阪高検の特別抗告を問う
雑誌編集者 丸山 朔

 「憲法を暮らしの中に」と打ち出し、府民の暮らしと憲法をわかりやすく示しながら府政に反映してきた蜷川虎三元京都府知事の命日でもある2月27日、長い闘いになっている日野町事件で検察側の即時抗告を受けて大阪高裁で判断がなされ、即時抗告棄却、再審開始決定が下された。ところが検察側はこれを不服として3月6日、あろうことかまたしても特別抗告という手段に出た。

 午後1時40分。国民救援会のメンバーを中心に横断幕を掲げて大阪高裁正門前に進む。先頭に阪原弘(ひろむ)さんの遺影を手にした長男の弘次さん、横には長年この事件に取り組んできた故・玉木昌美弁護士の遺影も並ぶ。

 正門前のマスコミの数からも日野町事件がいかに注目を集めているかが見てとれる。高裁建物南側の道路を挟んで向かい側には再審開始の知らせを待つ支援者が集まっている。滋賀県湖東地域など阪原さんの地元からの人たちが目立つ。その数は150人くらいか、圧倒的に高齢者が多い。輪の中には2003年に東近江市の病院で起きた「呼吸器事件」で再審無罪を勝ち取った西山美香さんの姿も。

 13時45分、阪原弘次さんらが館内に入っていく。14時6分、高裁正門前でマスコミ各社も位置取りを終え、玄関方向へカメラを向けて決定第一報を待つ。なかなか出てこない。玄関前から若手弁護士の男女二人が小走りでこちらへ走ってくる。息遣いが聞こえてくる程度の近さになったとき、二人からわずかに笑みが洩れた。正門近くまできて「即時抗告棄却 再審開始決定」の垂れ幕が掲げられた。

 周囲から大きな拍手、集まった支援者が両手の握り拳を突き上げて「よかった、よかった」「やったぞ」「検察は反省しろ」・・同時に「幟を下ろせ、見えないじゃないか」「決定をもっと高く掲げろ」等々怒号も飛び交う。

 弘次さんらが館内から出てきてマスコミが取り囲む。現在の心境を聞かれ、弘次さんは開口いちばん支援者らにお礼を述べ「まず母(つや子さん)に一報を入れたい」とゆっくりと話す。そして眼鏡が曇らせながら笑顔に。取り囲んだマスコミの後方に故玉木弁護士のご遺族の姿も。周囲から「よかったね、いちばんしんどいときに玉木さんががんばってくれたおかげやわ」、「見せてあげたかったなぁ、やっとここまできたよ、玉木さん」「地裁の再審開始決定でやっと光が見えたと思ったら即時抗告でしょ、でも今回の高裁決定ははっきりと出口が見えてきた。うれしいですね、でもまだこれからこれから」・・お互い涙涙の会話が続く。

 故・阪原弘さんの長男弘次さんの会見を見ていると「親子だなぁ」とつくづく思う。弘次さん、長女美和子さん、そして療養中の妻つや子さん、いずれも犯罪者の家族として長きにわたって少なからず狭い世間生活を余儀なくされた。弘次さんの白髪姿がその年月と苦悩を表している。支援を呼びかける際も決して声高に話すことなく、淡々とゆっくり自らの言葉で語る姿からは誠実さが伝わってくる。「ひぃ、ひぃ」と呼ばれて地域の誰からも愛された柔和な父・弘さんの息子さんだなと改めて思う。

■日野町事件と裁判の流れ

 84年12月28日 滋賀県日野町「ホームラン酒店」女性店主が行方不明に。翌年1月18日、同町内の宅地造成地で遺体が発見された。その後、警察の捜査は難航を極めていたが、88年3月11日9日から3日間阪原弘さんの取り調べが行われ、阪原さんが「自白」。翌12日滋賀県警が強盗殺人容疑で阪原さんを逮捕。この時期阪原さんは「自白」と否認を繰り返しているが、以降は一貫して犯行を否認し続けた。3月21日 遺体発見現場、金庫発見現場に阪原さんを同行させ、滋賀県警が引き当て捜査を行い、4月2日に阪原さんは起訴された。

 95年6月30日 大津地裁が阪原さんに無期懲役の判決。97年5月30日大阪高裁が控訴棄却、2000年9月27日、最高裁が上告棄却、阪原さんの無期懲役が確定。

 01年11月 阪原さんが再審請求。06年3月 大津地裁が再審請求を棄却。11年3月18日 阪原さんが服役中に病死。同月30日、本人死亡に伴い再審請求終了。

 12年3月 阪原さんの遺族が大津地裁に「死後再審」請求。18年7月 大津地裁が再審開始を決定、検察が即時抗告。この即時抗告に際して再審開始決定を決めた3名の裁判官が「看過できない重大な理解不足がある」として検察批判の意見書を連名で大阪高裁に送っている。23年2月7日 大阪高裁が即時抗告棄却、再審開始決定。3月6日 検察側が最高裁へ特別抗告という経過を辿ってきている。

 2月27日の高裁再審決定の中核を為しているのは大津地裁での再審請求中、裁判長の勧告を受けて検察側が開示した遺体発見現場での引き当て捜査を記録したとされる写真ネガだ。 決定文は(新証拠のネガによると)阪原さんは人形(遺体を模したもの)を用いない再現と人形を使った再現を交互に繰り返していたが、その信用性は認めがたい。捜査官による誘導の可能性など、任意に行われたかどうか疑問だ。阪原さんが現場に到着後、「刑事さん、ここですわ」「この木に見覚えがあります」と言ったという点にも疑問が生じる。

 阪原さんのアリバイについても、阪原さんは事件当夜、H宅で知人らとお酒を飲んで酔って寝込み、翌朝帰宅したと言うが、確定審で自らアリバイを否定した知人の妻が新供述で語っている点は阪原さんの主張とも近い。(知人の妻が)虚偽の内容を述べる理由もなく、信用性は否定しがたい。確定判決は(阪原さんの)アリバイ主張を虚偽と認めたが、この新証言を踏まえると、虚偽と認めるには合理的な疑いが生じた。

 阪原さんを犯人とした確定判決などの事実認定には合理的な疑いが生じている。原審で取り調べられた各新証拠は、無罪を言い渡すべきことが明らかな証拠に当たるーと、高裁決定はまとめている。

 高裁決定は金庫発見現場における調書作成過程には事実認定を誤らせる危険性はあるが、捜査員の誘導は認められない等々、いくつかの見過ごしがたい点はあるが、確定審の時点でこういった新証拠、ネガなどが提出されていれば「異なる判断がされた可能性がある」ことを裁判長は示した。

■理不尽な警察、検察の姿

 日野町事件の再審開始決定は2月27日夕刻のテレビ、28日の各紙朝刊、ネット上でも全国的に大きく取り上げられた。全国紙では朝日新聞が「検察は再審を受け入れよ」と社説で報じたのをはじめ、地方紙でも少なからぬ新聞が社説で取り上げている。各社とも「証拠開示」「長期化」などの問題点を挙げ、日弁連も即、「えん罪に関する刑事訴訟法の法改正、証拠開示のルール化」を求めて記者会見、会長名で「検察は特別抗告せず、ただちに再審公判開始を」との声明を出している。

https://www.nichibenren.or.jp/document/statement/year/2023/230227.html

 だが検察側はこういった世論に牙をむくかのように期限ぎりぎりの3月6日午後、最高裁への特別抗告という悪あがきの挙に出た。今後は最高裁特別抗告審で審理され、

①再審開始が認められ確定=再審公判 
②審理不十分として高裁へ差し戻し 
③再審を認めず=第2次再審終了

のいずれかに進むことになる。

 日野町事件は不可解な展開の連続だった。動機がない、証拠がない、もっと言えばどこで殺害されたのか、被害品は何かさえ定かでない。事件発生から数年経って突然呼び出され、朝から夜遅くまで3日間も取り調べを受ける。数年も前のいついつ何時頃どこで何をしていたのか、誰しも簡単に記憶を呼び覚ますことは難しい。この事件はだれもがある日突然、阪原弘さんの立場に追い込まれるかもしれない怖さを感じさせる。

 なぜ警察は阪原さんに目を付けたのか、執拗なアリバイ潰し、代用監獄という密室での取り調べ、ここでの暴行、脅迫などの自白強要が行われたことは阪原発言からもうかがえる。今回の高裁の再審開始決定は大きな前進であることは間違いないが、阪原さんが容疑者として浮上した背景から「自白」に至る過程で何があったのか。滋賀県警、日野署の初動捜査の実態にもっと踏み込んで欲しかったとは思う。

 警察・司法ルート以外にも教育、企業経営など戦前戦中の体質を受け継いでいる組織は少なくないし、その人脈は私たちの想像以上に深く広い。かつての安倍政権の頃から混迷する社会を背景に政治の世界でも勢いを得てきている。こういった壁を打ち破り、この事件で再審無罪を勝ち取ることは、粛々と戦争準備の道へ突き進む歴史の歯車を逆回転させたがる勢力に対しても大きな打撃となるだろう。