大川小津波被災事件の教訓
~ドキュメンタリー映画「生きる」
大川小学校津波裁判を闘った人たち~
弁護士 吉岡 和弘

1 大川小津波裁判とは

 東日本大震災による津波で宮城県石巻市立大川小学校の児童70名の命が失われ、4名の児童が行方不明となった事件で、仙台地裁は、2016年10月26日、津波が学校に到達する7分前に教師らに津波到来の予見可能性があったと認め(「現場過失」)、遺族勝訴の判決を言い渡しました。その後、仙台高裁は、2018年4月26日、学校組織の管理、運営の地位にある石巻市、市教委、校長、教頭及び教務主任ら指揮命令・計画立案部局に位置する者らを「組織」で括り、「組織の構成員たる公務員」が地震や津波が発生する遅くとも1年前の「平時」の時点で児童らの安全を確保するためにそれぞれに課せられた職責を果たすべき義務を懈怠した責任を認める判決を言い渡し、2019年10月10日、最高裁も同高裁判決を維持し県と市の上告を棄却するなどの決定をしました。

2 裁判の意義

 仙台高裁判決は、児童の安全を確保する義務は学校教育の根源的義務であると判示し、全国の学校設置者・教育委員会・校長・教頭・教務主任ら学校安全を確保するための役割を担った者らに対し「果たして自分の学校は安全なのか」を日常的に問い続け危険を除去しなければならない職責が課せられているとした点で、今後の学校安全や安全教育を推進する上での基底を示す判決でした。また、同判決は、学校安全や安全教育を適切に遂行する前提として、指揮命令部局と現場部局との間に民主的土壌が存在していなければならないことを暗に求めています。

 例えば、東日本大震災発生前、大川小学校とは別の小学校では、津波発生時に児童の津波避難場所を巡って議論になり、校長は「校舎屋上へ避難」が適切といい、教師は「高台への避難」こそ最善と主張し、避難場所を巡って教職員会議で4回も会議が持たれ、その都度、校長の提案が現場教師よって押し返される議論が繰り返されたという。その直後、東日本大震災が発生し、この学校の教職員は、これら議論の中で培った避難先のあり方を踏まえ児童を適切に避難させることができました。この学校では、職員会議が単なる校長の指示・伝達の場ではなく、校長が日頃から、教職員の意見に真摯に耳を傾け、自説を押しつけることなく職員会議を運営するという民主的な職場環境を育んでいたことが実を結んだものと言えましょう。

 自然災害は、突然発生し、想定できない事象が発生する特性があります。そうした危機に対し、学校安全に係わる者らは、既存のハザードマップを常に疑い、児童の避難マニュアルを疑い、避難計画が想定外の事象に対応できるものかを常態として疑い、とっさの事象に適切な対応や機転を働かせ得る危機対応体制を構築しておかなければなりません。

 学校現場が窮屈で超多忙になるほど、ともすれば避難訓練や安全研修は苦痛となりアリバイ的対応に終始しがちになりますが、子供の安全より優先すべき課題はない筈です。

 仙台高裁判決は、地震が発生する1年前の「平時」から、児童の安全を確保するために「組織全体」がそれぞれが担っている部署ごとに最大限の安全確保をすることを求めています。そして、この理屈は、他の自然災害や企業災害、医療現場等にも当てはまるものとして、今後、いろんな場面で引用される判例になろうかと思います。

3 大川小事件の教訓等

 さて、翻って、大川小の遺族らの心情は複雑です。遺族らは、我が子の最後がどのようなものであったのか、なぜ、我が子は校庭に50分間も待機させられたあげく津波に呑まれて死亡しなければならなかったのか、その真実を知りたいとの思いで裁判の原告になる道を選びました。それというのも、大川小が津波に呑まれ、教職員11名のうち10名の先生等が児童らと共に死亡しましたが、唯一、教務主任の先生だけは助かっていましたので、遺族らは、裁判をすれば、この生存した大人の目撃者である教務主任から我が子の最後の状況を知ることが出来るだろうと考えたのでした。しかし、国家賠償訴訟の審理上、裁判所は、津波到来を最も速く予見した時期はいつか(予見可能性)、津波到来を予見した直後に児童等は安全に避難できたのか(結果回避可能性)という、二つの要件の有無さえ認定できれば、子供の最後がどんなものだったかは審理の必要はないというルールの下に裁判が進行しますので、裁判所は、遺族らが裁判所に期待した生存教師の証人尋問を却下しました。また、裁判提起前に設置された「第三者検証委員会」は3回にわたって生存教師からの聴き取りをしていたのに、その情報は遺族らには一切明かされずに今日に至っています。その結果、遺族らは、裁判には勝ったものの、未だに、なぜ、先生達は走れば1分たらずの裏山に避難させてくれなかったのか、教務主任が「山だ、山に避難だ」と少なくとも二度にわたって叫んでいたというのに、なぜそれが先生ら全員の方針にならなかったのかと悔やみ続けています。

 近時、いじめ問題等が発生した場合、「第三者検証委員会」なるものが立ち上がるのが常ですが、本当に真実に迫る検証がなされているのか、また、どうすれば、真実に迫れるのか、是非とも検証の在り方を再考し、真の検証がなされる体制を構築してほしいと願っています。そのことが地震発生後、50分間も校庭に待機させられたあげく津波に呑まれた児童らと欠けがえのない我が子を失った遺族らに対する、せめてもの社会が果たし得る責務だろうし、それらが明らかになることは、文科省、教育委員会、学校設置者ら児童の安全を守る立場にある者らへの反省と教訓を導く契機となるだろうと思っています。

4 映画「生きる」が上映されます

 私は、代理人弁護士として、原告になれた遺族らの期待に反した裁判進行に忸怩たる思いを抱いていましたが、このたび、知人の寺田監督がドキュメンタリー映画「生きる」~大川小学校津波裁判を闘った人たち~(上映時間2時間6分)という映画を制作してくれました。いろんなテーマが凝縮された素晴らしい映画です。
https://ikiru-okawafilm.com/

 この映画で、遺族らの裁判への失望がいかばかりか薄れてくれるのではないかと密かに期待している。是非、皆さんにも観ていただきたいと思います。

 本年2月18日から3月10日まで東京・新宿のK’s cinemaで封切られ、その後、大阪・第七藝術劇場では2月25日から、京都・京都シネマでは3月10日から、神戸・元町映画館では3月11日からなど全国30数カ所で上映されます。不思議と「生きる」勇気や力が沸いてくる、いわゆる震災ものの映画とはひと味もふた味も違ったとても素晴らしい映画です。上映期間は1週間足らずの映画館もありますので、是非、皆さまにはお見逃しなく最寄りの映画館で観賞いただければ幸いです。

 南海トラフ地震の発生への備えが叫ばれています。大川小津波被災事件は12年前のことですが、トルコ・シリアの地震報道などをみるにつけ、今日的問題でもあります。遺族は「学校が子供の命の最後の場所にしてはならない」と訴えています。「私の今いる場所が最後の場所になってはならない」と強く思います。どうぞ、映画「生きる」を観賞なされて防災の心構えをより一層深めていただければと思います。


<京都での上映>

 ・3月10日(金)~3月30日(木)
 ・京都シネマ

*トーク・イベント

 ・3月10日(金) 12:30〜の上映後、吉岡和弘弁護士によるトーク