文化芸術は生き死にの問題か~コロナ禍で考える~
時田裕二(京都音楽センター代表)

 コロナ感染症が世界的に広がり、日常生活はもちろん暮らしにも大きな影響が出ています。

 感染が広がり始めてから間もなく1年半となりますが、この期間に文化芸術分野は存在自体を否定されかねない危機的な状況に陥っています。ともすれば不要不急とされがちな文化活動ですが、本当にそうでしょうか?

 「医療や経済活動は生き死にに関わるが、文化芸術はなくても死なない」と言われることも多いのですが、私は「文化芸術を享受することはまさに生き死にの問題」と考えています。

文化芸術の役割

 そもそも文化芸術は私たちにとってどのような役割を果たしているのでしょう?また、どのような役割を果たすべきなのでしょう?

 文化芸術は、私たちに様々な疑似体験をさせてくれことがあります。お芝居では、自分ではない誰かになることができるし、その気持ちを考えたり、感じたりもできます。主人公のうれしい気持ち、悲しい気持ちなどを演じ、感情移入することで、体験したことがない気持ちを感じることができるのです。音楽では、その詩の世界やメロディから風景や情景を感じることができるし、新しい物の見方や感じ方を知り、その世界を体感することもできます。文化芸術を享受することにより、自分自身の感受性を磨き、想像力を豊かにすることができると私は思います。

 今大切なのは「想像力」だと思います。他国のテロで命を落とす方が自分の知り合いならどう感じるか。平和なデモに参加しただけで逮捕・投獄されたのが自分の愛する人ならどうか。戦争に駆り出されるのが自分の子どもならどうか。このように自分の問題として引き寄せて想像することができるかが重要だと思います。 そうすることにより、これまで見えなかった事実や真実が見えるようになります。ここにも、文化芸術の役割の一つがあると思います。優れた文化芸術は、私たちに豊かな想像力を育て、自分を見つめ、他者の問題を自分の問題として考える力を育ててくれるのです。その力が命の大切さを知り、生きる力となるのです。

自殺者の数から見えるもの

 少し古い資料になりますが2016年のWHOの調べによると、人口10万人当たりの自殺者数は、1位がロシア、2位が韓国、と続き日本は7位と高い水準にあります(図1・自殺者ランキング)。

図1・世界の自殺率ランキング(WHO・2016年)

 自殺者数は、平成15年の34427名をピークに減少しているものの、昨年は21081名の方が自死を選んでしまわれました(図2・自殺者数の推移)。

図2・日本の自殺者数の年次推移

 一方、交通事故で命を落とされた方は1996年には1万人を下回り、その後減少を続け2020年に初めて3000名を下回り昨年は2839名でした(図3・交通事故死者数)。交通事故死に比べ7倍近い方が自死を選んでしまったと言う結果です。

図3・交通事故死者数の推移(昭和23年~令和2年)

 この数字は、日本の行政が、健康と教育にはそれなりにお金を使ってきたものの、精神(文化)には予算を使ってこなかったことの結果の一つではないか。このように私は考えています。

 命の大切さは、学校で教科書を使っての授業ではなかなか伝わりません。私たちの精神の問題は芸術と宗教が担ってきたのです。また、農作業や狩猟・漁労と言った直接他者の生命に関わる行為を通じて伝えられてきたのです。しかし、分業が進み、豊かな生活水準を維持しながら子どもたちに生命の大切さを実感させるためにそれらを実体験させることは難しくなっているし、戦争などは実体験する必要もないし、絶対にしてはいけないのです。

 ではどのようにして生命の大切さを実感し伝えていくのか。 ここにも芸術のひとつの役割があります。演劇や音楽、映画、美術などを通して様々な現実を疑似体験することができます。その疑似体験を通して、心の痛みや苦しみ、そして生命の大切さを感じることもできるのだと思います。

日本の文化予算は豊かか?

 このように命を守り豊かな感受性を育てる文化を、私たちの国や自治体はどのように扱っているのでしょう。

 昨年の文化庁予算は1,075億円で 米軍への「思いやり予算」2,017億円の約半分。他国と比べると日本の文化予算は、2019年で1167億円。国家予算の0.11%にすぎず、国民一人当たりにするとわずか900円ほどです。フランスでは国家予算の0.88%、韓国は1.05%で、諸外国と比べてもあまりにも少なすぎます(図4・各国の文化予算)。予算の使い方を切り替えれば、芸術家や芸術団体、文化施設への支援を増やし、もっと国民が芸術・文化を楽しめる社会を実現できます。

図4・各国の文化予算

 ちなみに、政党助成金の年間予算は約317億円(国民一人当たり250円)ですから、いかに文化にかける予算が少ないのかがわかります。

行政に求められる姿勢

 では、行政には今何が求められているのでしょう?

 文化は街を発展させ、都市格を高めるとも言われます。そして、その中心的役割をホールが果たすべきで、そのときに問われるのが人財(人材じゃない)なのだと私は思います。文化ホールを単なる貸し館としてとらえるのではなく、文化を蓄積し、誰もが集える空間に育てていくことが求められます。

 文化に理解のある首長、演劇・音楽・芸能に通じた有能な館長、やる気充分の職員、地域住民の協力が揃えばホールが街に根づき、街を変えることができるのです。

 想像してみてください。ホールが豊かな舞台芸術を提供するとともに、市民の草の根の文化活動に専門的な立場から助言、協力をする。文化活動が楽しくなり、もっと豊かな文化を目指すようになる。市民はホールを誇りに思うようになり、文化的市民が生まれる。その市民たちが市民文化をさらに育てていく。無形の文化が築かれ、街に蓄積されていく。そこから美しい景観も生まれる。

 そう考えると、「ムダ」だと思われがちな文化分野ですが、少しだけ長い目で見ると経済効果抜群で、街や市民を育てる重要なものだと思えてきます。

 多くの表現者は、アルバイトをしながらでも自己表現を求め作品を創っています。それは、自らが感動した体験を1人でも多くの方に知って欲しいと願うからだし、そのことが明日を生きる力になると信じているからです。

 文化芸術には、『日本』という国のお偉いさんが考えているよりはるかに重要な役割があるのです。今こそ「心を震わせる文化芸術」が求められるし、そのことが「気づき」を誘発し、より人間らしい社会を築くことになると思います。文化芸術は無力ではないのです。 かつて京都の知事だった蜷川虎三さんは「見える建設よりも、見えない建設が大切」と言われました。高いビルを建てても、立派な道路を作っても大自然の大きな力の前ではひとたまりもない現実を、私たちは何度も経験してきました。目に見えなくても住民の中に脈々と生き続ける建設が大切なのでしょう。心の中につぶされない豊かな感性を築きあげたいものです。そのための文化・芸術を育てる行政の在り方こそコロナ禍で問われていると思います。