廃止される「世界で一番素晴らしい劇場」
舞台芸術に携わる者、とりわけ演劇関係者は京都府立文化芸術会館(私たちは略して「文芸会館」あるいは「文芸」と呼ぶが)を特別な劇場だと考えている。それは京都の人間に限らない。恐らく日本中に文芸会館のファンはたくさんいるだろう。2020年に開館50周年を迎え、同会館が編纂した「開館50周年記念によせて」にも、各界から惜しみない賛辞が寄せられている。その一人である俳優のイッセー尾形氏は開館50周年の式典でも「世界で一番素晴らしい劇場。この劇場の再現は難しいだろうが、移転するなら、この劇場に近づけてほしい」と挨拶(朝日新聞朝刊(2020年1月9日))している。
「素晴らしい劇場」であることは、文芸会館の舞台に立ったことのある人なら異論のないところに違いない。俳優と観客との距離感が他の劇場とは違う。客席のどこからでも演技者は大きく見え、声が届く。これはプロセニアム・アーチの大きさ、舞台の広さと形状、客席数、建物の形といった様々な要素が重なり合って、奇跡に似た演劇空間が生み出された結果である。文芸会館とはそのような劇場である。だからこそイッセー氏は「この劇場の再現は難しいだろう」「近づけ」ることは出来たとしても、と指摘している。私も同様の意見を持つ。ハンプティ・ダンプティとしての劇場、一度壊せば誰にもこの劇場をつくることはできない。
だが残念なことに文芸会館は失われようとしている。イッセー氏は「移転」と述べている。確かに私たちも当初は「移転」されるものと考えていた。京都府の「北山エリア整備基本計画」(2020年12月)の全体像が明らかになってくると、それは間違いだったと考えるようになった。同計画には「4 新たな文化・芸術の創造・発信の拠点」として「旧総合資料館跡地」に「舞台芸術系」「視覚芸術系」が集積した「京都の他の施設にはない交流・創造・発表の機能の整備」「シアターコンプレックスを整備」すると書かれている。これが「老朽化の進む京都府立文化芸術会館及び本年11月に閉館した京都こども文化会館の機能を継承」する施設であり、2027年に「供用開始」となる。つまり、文芸会館は最長でもあと6年で重大な節目を迎えることになる。
「機能を継承」する、というのは「移転」するのと同義ではない。単に文芸会館は廃止され、別の会館が別の場所に建てられる。私は今ではそのように考えている。
文芸会館の未来を考える会 運動の経緯
私たちが文芸会館の「移転」話を公式に知ったのは、2016年8月29日の「京都府総合資料館跡地活用検討会(第1回)」でのことである。同委員会は府立大学学長や文化庁、総合資料館長、京都工芸美術作家協会理事長、森ビル関係者やデービッド・アトキンソン等を擁したもので、その陣容は府の力の入れ具合を示していた。その会議資料には「舞台芸術・視覚芸術施設」建設が明記されたのである。
これを受け、始めに私たち京都児童青少年演劇協会と京都人形劇センターが連名で、「総合資料館跡地活用にかかる京都府立文化芸術会館の移転ならびに京都府の芸術・文化行政に関する私たちの考え」(2016年12月)をとりまとめ、京都府当局に提出・懇談した。
私たちの主張は概略、次のようなものだった。①文芸会館が演劇人にとって唯一無二の劇場であることを知ってほしい、②それは建物の構造はもちろんのことだが、それ以上に重要な要素して「会館スタッフの専門性」の高さであることを知ってほしい、③「移転」するのではあれば、現在の会館スタッフもそのまま新施設に移行し、公共ホールとして、地域の子どもたちの育ちを保障する文化・芸術施策を展開してほしい。
その後、要請書を提出した2団体が中心となって、文芸会館を愛するより広い舞台芸術関係者との共同運動をすすめるため、演劇・音楽の鑑賞団体、俳優や演出家にも呼びかけ、2016年8月に「文芸会館の未来を考える会」を発足し、提言書や要望書の提出・懇談を府当局と積み重ねてきた。
公共の劇場が果たすべき役割と劇場スタッフの専門性
舞台関係者の多くに同意していただけると信じるが、劇場スタッフの存在は、劇場の「良さ」を決める最大要素である。
文芸会館の舞台スタッフは、プロの注文にも、アマチュアの注文にも、それぞれのレベルにあわせ、適確に対応してくれる本物のプロ集団である。
舞台以外のスタッフも、会館をただの貸会場にしない、京都府民の暮らしを文化的に豊かなものにするために公共の劇場が果たすべき使命を極めて自覚的に実践している。
その実践を象徴するのが、40年以上の歴史を誇るKyoto演劇フェスティバル(かつては京都府演劇祭と呼んでいた)である。
京都府が主催して、舞台芸術家が実行委員を委嘱され、京都府民の自主的な演劇活動の発表の場を保障し、同時にその質の向上に資する専門的な相談・支援を行い、そして何より、府民によって創造された作品を府民が鑑賞する(それも安価に)機会をつくりつづけてきた。全国でも稀有なこの取組が今日まで継続された力の源は、文芸会館のスタッフたちの専門性の高さに他ならないのである。
私たちが当初からもっとも懸念しているのがスタッフの継続である。現在のようにあらゆる公共施設が指定管理制度の対象となり、文芸会館も例外ではない現実がある限り、新たに建設される施設が現在の文芸会館を真似たとしても、実際には同様の機能を持った施設にはなり得ないからである。
どのような哲学の上に劇場はつくられるべきか
「機能を継承」するのであれば、建築物の構造、舞台機構、そして劇場スタッフ存在のすべてが引き継がれるべきであることは言うまでもない。もちろん現在の文芸会館の持つ欠点も(例えばユニバーサルデザインの観点からはいくつも指摘できる)改善が求められるだろう。
だがそれ以前の基本的な問題に立ち返って考えたいのである。そうすれば、北山エリアに文芸会館の機能を「継承」することが「移転」ではなく、単なる廃止にすぎないと断ずる理由がわかつていただけるだろう。
それは、公共の劇場とはどのような哲学の上に建てられるべきなのか、ということである。
京都府は「文化庁移転」視野に2018年、それまでの「京都府文化力による京都活性化推進条例」を「京都府文化力による未来づくり条例」へと全部改正した。
同条例は、その基本理念に、文化・芸術を創造し、享受することが府民の権利であること、その実現を目指す公の義務を明確に位置づけていない。さらに致命的なのは文化・芸術をそれ自体として価値のあるものとして捉えず、産業育成や経済発展に役立つものとして捉えていることである。「第5節文化資源を活用した経済の活性化」にそれは顕著である。例えば第20条の(文化資源の様々な分野での活用)、第21条の(文化的創作物を活用した産業の振興等)は、「メディア芸術を活用した産業」の進行のために府が「市場を開拓する活動への支援」を実施すると謳う。
私たち舞台芸術にかかわる者は、各々が自らの表現や活動に固有の価値を見出している。少なくとも私にとって文化・芸術の固有の価値とは経済の活性化では断じてない。したがって文芸会館の価値も、そのような水準の低い、浅はかな議論にかかわって持ち出される筋合いのものではないのである。
だが、府の「北山エリア整備基本計画」は、条例の謳う浅はかな哲学で書かれている。特に目につくのは「にぎわい」なる言葉である。文中には「国内外の人が集」うことに無条件の価値を見出しているようだ。すなわちおおぜいの人を呼びこむ街をつくることが無条件の「前提」となっている。しかし私はその「前提」を疑いたい。もちろん地域の商店やお店が繁盛することは歓迎したい。だが「民間活力導入のポテンシャルがある地域」などといって、巨大資本呼び込み型で観光客を集める計画が、本当に地域のための計画といえるのか。まして、そのような計画に位置づけられた「シアターコンプレックス」が、文芸会館の機能を継承できるはずがない。文芸会館の価値は本来、そこにはないからである。
たとえ機能を継承した施設が北山エリアに建設されたとしても、その開発計画の寄って立つ哲学が文化・芸術のあり方から遠いものである限り、それは私たちが愛する京都府立文化芸術会館たり得ない。だから私は今回の動きを文芸会館の「移転」ではなく「廃止」と見做すことにした。
私たち舞台芸術に携わる者は、広く府民と文芸会館の固有の価値を共有し、廃止を押しとどめる力とならねばならない。