東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会(以下「東京2020大会」)が2021年9月5日に閉幕しました。
東京2020大会は、始まる前から開催への反対意見が噴出していました。特に、福島第一原子力発電所の爆発事故に伴う放射性物質拡散の後処理や健康被害に関する懸念があまりにも重大な問題として取り上げられていたことです。
この日本にはかつて、大東亜戦争にてアメリカ軍により核爆弾が2発も落とされました。人々が被った「核の被害」に対し、国はほとんど向き合うことないままに70年以上が経ち、その渦中に起きた「福島原発事故」に、またもや多くの人々の命が紙切れよりも軽いもののように扱われ、切り棄てられて今に至ります。
震災各地では地震で壊れた部分を中心に進められた公共事業を「復興」と称し、放射性物質の除染はほとんど中途半端なままに終了してしまいました。土壌内の放射線量の高い場所でもどんどん公共施設の建設と整備がなされ、可視化されたものだけが独り歩きし、人々は「復興している」と錯覚を起こすようにして東京2020大会へと突き進んでいきました。
この大会で「原点」とされた「復興オリンピック・パラリンピック」の実現は、スポーツの力で東北の被災地に元気を届けるべく、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会(以下「東京2020組織委員会」)などが、被災地と世界を繋ぐ架け橋という名のもとに「東京2020 復興のモニュメント」の制作をしたり、日本全国47都道府県を回る全国参加型の東京2020オリンピック聖火リレーが2021年3月25日に福島県を出発し、原発事故の被災地を駆けて、走者に関心が集まったりしました。
開催中に国立競技場にあったモニュメントは、アスリートたちのサインを載せ、東京2020大会の「レガシー=遺産、先人の遺物」として被災県に設置する予定のようです。福島県の場合は、事故当時からの高放射線量を帯びた土砂の詰まった黒いフレコンバック(保管袋)が存在する敷地に近いナショナルトレーニングセンターJヴィレッジに移動、設置されるそうです。
東京2020オリンピック聖火リレーにおいても、地元の双葉町が、原発事故で被災し復興途上にある街並みが見えるルートを聖火リレーコースとして希望したにもかかわらず、東京2020組織委員会はそれを避難指示未解除であるとの理由で受け入れなかったことがわかっています。双葉町長が「復興していない部分も全国の皆さんに見てもらい『まだまだ福島の復興はこれから』ということを知ってほしかった」と残念がっている様子が新聞記事に伺えます。(2021年7月16日毎日新聞記事)
2 政治的な力が大きく作用した東京2020大会
振り返れば、この東京2020大会ほど政治的な力が作用した大会はなかったのではないでしょうか。
大会の「原点」とされた「復興オリンピック・パラリンピック」の実現のために、2013年9月、当時首相だった安倍氏が東京五輪招致に向けた国際オリンピック委員会(IOC)総会の場で、東京電力福島第一原発の状況は「アンダーコントロール」と語ったことに衝撃を受けた人は多いと思います。
今年4月13日には、トリチウムなど放射性物質を含む処理水の海洋放出を決めたことを受け、報道陣から質問された菅首相が、福島第1原子力発電所内で増え続ける内部被ばくの元凶とされる処理水に多く含まれる「トリチウム濃度は国内規制基準の40分の1以下であり、国際原子力機関(IAEA)も評価しており、前安倍首相が言ったアンダーコントロールであることと全く矛盾しない」と述べたことも、原発事故後の処理がさも予定通り進んでいるかのように世界にアピールし、東京2020大会を招致するための口実にしたものでしかありません。https://jp.reuters.com/article/suga-nuclear-idJPKBN2C00A3(2021年4月13日REUTERS記事)
さらに時を遡れば、2009年(平成21年)12月に策定した福島県総合計画「いきいき ふくしま創造プラン」が、原発事故発災など経済的社会的情勢の変化により2012年(平成24年)12月に全面的に改定され、福島県総合計画「ふくしま新生プラン」と名を変えています。その資料編 第3章(政策分野別の主要施策)239ページに指標の一覧があり、年度別の目標値が整理され掲げられています。(下表は福島県総合計画「ふくしま新生プラン」から引用)
平成24年10月1日現在、県内外へ避難した人々は159,128人と示されて、矢印が右方向平成32年下まで引っ張られています。それをたどり、平成32年と書かれた下部を見ると避難者数は0人となっています。
これは、約16万人もの避難者たちへ無償提供されていた応急仮設住宅、借り上げ住宅が、2011年3月11日に原子力緊急事態宣言が出されて10年経つ今なお原発事故の収束もままならず、原子力緊急事態解除宣言が行なわれていないにもかかわらず、2020年(令和2年)に「避難者数皆減を目指す」ことを意味します。
原子力緊急事態解除宣言というものは、原子力災害の拡大の防止を図るための応急の対策を実施する必要がなくなったと認めるときに行うこととされており、住民の避難や原子力事業所の施設及び設備の応急の復旧等の実施状況等を踏まえ、総合的な見地からこれを行うかどうか判断するものであるため、現時点において確たる見通しを述べることは困難であると、2016年(平成28年)3月に出された衆議院議員の質問主意書に対する3月11日付の国会答弁書で明らかにされています。(内閣衆質一九〇第一六四号)
またこれは、宣言の解除されていない2021年(令和3年)9月現在でも十分有効な国側が述べる理由であり、福島県が東京2020年大会に合わせた、ここでは矢印が引っ張られた2020年に国に「忖度」し、国際法のもと定められた「国内避難に関する指導原則」の大変多くの部分に「違反」し、避難者の人権を侵害してまでも「避難者数皆減させる」と宣言したものです。「国内避難に関する指導原則」とは、原発事故により生じた放射性物質の飛散による被ばくから逃れるために避難した人々すなわち国内避難民と認定される人々の保護のための国際社会から受け入れられている重要な枠組みをいいます。
そして「避難者数皆減を目指す」ということは、福島県民が「夢・希望・笑顔に満ちた“新生ふくしま”をめざそう」と掲げる総合計画に、「2020年に行われる予定の東京2020大会に「避難者数皆減を目指し」、さも原発事故は「アンダーコントロールされ」、すでに避難者は一人もいないと世界にアピールしたいかのような目標が、県民が目指す夢・希望・笑顔に満ちた福島県の姿であり、「復興」した福島県の姿であると言わんばかりの「避難者ゼロを理由問わず実行する恐ろしいゲーム」になっていたのです。そしてこれは、2020年には避難者はゼロ人にする、という福島県から県民への強い脅迫めいたメッセージなのではないでしょうか。
前出した「国内避難に関する指導原則」を守らない国や福島県、東京電力。2017年に国連からのいくつもの勧告を受けても避難者など原発事故の被害者に対しフォローしてはいないこと、スルーしていることがとてもよくわかります。(「国際社会から見た福島第一原発事故」 原発賠償京都訴訟団編参考)
3 東京2020大会「レガシー考」
東京2020大会には、「レガシー」という言葉が往々に出てきました。原発事故発災からのマイナスイメージを払拭させる経済的社会的な脱却を、過去の高度経済成長期へのシンボルとなった輝かしき思い出の「1964東京オリンピック・パラリンピック」への強い郷愁として覗くことができました。原発事故が起きてしまったこの日本国の「不可逆に近い打撃」をまるで「1964東京オリンピック・パラリンピック」という過去の栄光にすがることで癒されるかのような祈りにも似たそれらの行為により、あたかも原発事故からの単純な「復興」につながるかのような感覚を関係者たちは持っていたのでしょうか。それとも、この状況が本当に見えていないのでしょうか。
さらに追い打ちをかけるかのように、2020年の年明け早々から新型コロナウイルスの蔓延が世界中で起こり、日本国内では今日もコロナ禍という生活基盤が揺らぐ事態に陥っています。それでも東京2020大会は、避難者数皆減を掲げた2020年から1年延期の末、多くの国民や世界各国からの慎重論に耳を貸さず、政治的判断で大会を強行、コロナ禍も隠ぺいするように開催されました。
精神的に消耗しながらも平常心を保ち、たゆまぬ努力を重ね、世界中の選手たちがすばらしい活躍をしたこと、それを精一杯に支えたスタッフの方々には、心から賞賛します。
さて、「レガシー」には「時代遅れのもの」という意味も含みます。
東京2020大会が終わった今、国内に新型コロナウイルスによる疾病の流行は予想どおり再燃し、国内の死亡率が上昇しています。原発事故の後処理については、避難者の現状も放射能汚染の被害の情報をも隠ぺいし続け、福島県内外で増加している小児甲状腺がんや様々な病気の増加さえも明らかにせず、アンダーコントロールしていたはずのトリチウムを含んだ放射性物質含有汚染廃水は原発から放流するよと宣言したりしています。福島第一原発内では、数年前に多核種除去設備のフィルターが全基損傷していたにもかかわらず原因調査や対策はしていなかったり、今年に入って計画にない場所にがれきを保管していてその量も公表していなかったりと管理不備が続きます。関東に避難した避難者が、よりによってサポートすべき福島県から応急みなし仮設住宅を出て行けと不当な理由で訴えられたりしています。
日本という国が、昔ながらの常套手段の「隠ぺい工作」と「国民切り棄て」は、このネット社会の中で暴かれ、世界からはオリンピック始まって以来の「低温な熱気と、華やかな舞台のようでとても些末な空気感をまとう東京2020大会」ではなかったか、そう思わずにはいられないのです。