第2回 日本の公衆衛生政策の概要と「京都市保健所」問題
中村 暁(京都社会保障推進協議会 医療部会)

 日本における保健所を中心とした公衆衛生政策の概要

(1)感染症対策の中核として法定化された「生を衛る」行政機関としての保健所 
 公衆衛生に関する政策と一言でいっても、その対象範囲は広い。「衛生」とは「生を衛る」ことであり、病気であっても、まだ病気になっていなくとも、すべての人々の生存を守るための社会保障政策である。 
 日本の公衆衛生政策は、地域保健(一般衛生行政)、産業保健(労働衛生行政)、学校保健、環境行政に大別される。それらはもちろん相互に絡み合ってはいるが、都道府県や政令指定都市等に設置された保健所が担っているのは「地域保健」である。
 保健所の担う「地域保健」に関わる業務範囲は、地域保健法に規定され、そこに感染症(伝染病)対策は含まれている。したがってコロナ禍にあって、保健所が対応の中核を担い、最前線に立つのは法定化されたルールである。

地域保健法(抄)
第六条 保健所は、次に掲げる事項につき、企画、調整、指導及びこれらに必要な事業を行う。
一 地域保健に関する思想の普及及び向上に関する事項
二 人口動態統計その他地域保健に係る統計に関する事項
三 栄養の改善及び食品衛生に関する事項
四 住宅、水道、下水道、廃棄物の処理、清掃その他の環境の衛生に関する事項
五 医事及び薬事に関する事項
六 保健師に関する事項
七 公共医療事業の向上及び増進に関する事項
八 母性及び乳幼児並びに老人の保健に関する事項
九 歯科保健に関する事項
十 精神保健に関する事項
十一 治療方法が確立していない疾病その他の特殊の疾病により長期に療養を必要とする者の保健に関する事項
十二 エイズ、結核、性病、伝染病その他の疾病の予防に関する事項
十三 衛生上の試験及び検査に関する事項
十四 その他地域住民の健康の保持及び増進に関する事項

(2)保健所業務の概要 
 とはいえ、保健所は感染症対応のみを担う行政機関ではなく、地域保健法第6条にあるとおり、「地域保健」の範囲は幅広い。
保健所業務を大別すると、「対人保健分野」と「対物保健分野」に分けることができる。
前者に感染症対策が位置付けられる他、難病対策や精神保健対策等が含まれ、後者には食品衛生管理、生活衛生関係、医療監視関係、企画調整等等を位置付けられる。
 幅広い地域保健分野を担うべく、在籍するスタッフにも複数の専門職が必要となる。
 保健所組織の頂点にあるのは原則「医師」である。その下に歯科医師、作業療法士、薬剤師 、保健師、獣医師、助産師、診療放射線技師、看護師、医療社会事業員、精神保健福祉士、臨床検査技師、衛生検査技師、食品衛生監視員、環境衛生監視員、管理栄養士、栄養士、歯科衛生士、と畜検査員等が配置される。(注1)

(3)保健所の設置数 
 全国の保健所設置数は2020年現在469カ所である。その内訳は、地域保健法第3章・第五条に基づいて保健所設置主体は都道府県、政令指定都市、政令市、中核市、特別区とされていることから、都道府県355カ所、指定都市26カ所、中核市60カ所、その他政令市5カ所、特別区23カ所である。
 京都府の保健所は二次医療圏に1カ所を基本に7カ所設置(中丹医療圏は2カ所)されている(図②)。なお、「京都・乙訓医療圏」は京都・向日・長岡京市と大山崎町は1つの二次医療圏だが、そのうち京都市が政令指定都市で保健所設置が必要であるため、府の保健所は乙訓地域のみを対象とした「乙訓保健所」となっている。

(注1)これらすべての専門職がすべての保健所に配置されているわけではない。筆者の手元にある2017年度の京都府保健統計のデータによると京都市保健所の専門職種別配置数は医師12人、歯科医師1人、獣医師25人、薬剤師100人、保健師267人、看護師1人、理学療法士1人、歯科衛生士7人、診療放射線技師14人、管理栄養士22人とされる。
(注2)全国保健所長会HP 2020.6.18閲覧 
((注3)その他政令市とは地域保健法上、保健所設置義務のある政令指定都市以外に、政令に基づき保健所設置が認められた市であり、2020年現在、小樽市、町田市、藤沢市、茅ヶ崎市、四日市市を指す。

(4)京都市保健所の経緯と概要 
 全京都府内唯一の政令指定都市である京都市の保健所事情を詳しく見ておきたい。
 政令指定都市は保健所設置が義務付けられ、京都市も例外ではない。しかし京都市には「京都市保健所」と名乗る建物が存在していない。京都市保健所の体制は敢えて主観的な表現を使えば「複雑怪奇」である。京都市保健所のスタッフは、「保健福祉局」の様々な「課」に散らばって配置されている。いわば京都市保健所とは、散らばった担当課がそれぞれ「保健所機能」として「果たしているものの総称」であり、「概念」に近いものである(図③)。

 京都市は北区、上京区、左京区、中京区、東山区、山科区、下京区、南区、右京区、西京区、伏見区の11行政区で構成されている。かつては各区に保健所が設置されており、医師である所長と保健師等のスタッフが身近な場所に常駐し、担当地域の保健活動に取り組んでいた。
 しかし2010年、京都市当局は全保健所を廃止し、市内1カ所のみの「京都市保健所」を設置、行政区保健所は「支所」(名称は○○保健センター)扱いとした。これが今日に至る保健所解体の第1歩となった。但し、この段階では未だ、支所化されたとはいえ、各区においては基本的に従来通りの機能が維持されていた。
 この時点において、市方針の危険性を指摘した医師団体もあった。たとえば京都府保険医協会は現場保健師等とともに統合に反対する要請活動に取り組んでいた。
 当時、同協会が市当局に提出した要請内容は次のようなものである。(注4)
 「保健所は地方自治体が市民の生命・健康を守る上で、もっとも基礎的な公衆衛生施策の拠点であり、京都市においても重要な役割を果たしてきた。…1994年に保健所法を地域保健法に改正したこと、介護保険制度や特定健康診査・特定保健指導が実施されたこと等を契機に、その役割、機能が一貫して後退させられてきたことは否めないが、地区医師会とも連携しつつ地域に根付いた行政サービスを提供してきた。…京都市においても、独居を含む高齢世帯の増加、様々な社会的要因を背景にした子育て環境の悪化による母子保健上の諸問題、自殺に繫がる精神疾患の増加、食の安全の揺らぎ、新興感染症の台頭等、市民の健康を守る上での阻害要因の増加が指摘され、保健衛生上、これまで以上にいっそうきめ細やかな施策が必要となっている。…保健所が地域で果たすためには、医師・歯科医師・保健師・看護師・薬剤師・栄養士等の専門職の適正な配置が、必要不可欠なのは言うまでもない。地域保健法上の「支所」には、そういった人員基準が一切ないことから、現状の人員配置すら守られる保障はなく、市の軽々な廃止方針には賛成できない。…行政と地域の医療者が密接に連携し地域住民の健康課題の解決にあたる必要性は、むしろ増しており、連携の要としての各区の保健所の役割を再構築することが重要である」。
 警鐘は残念なことに現実化する。それから7年を経た2017年、京都市は再びの機構改革を強行し、真に保健所解体と呼べる事態をもたらしたのである。17年の機構改革では従来の保健所業務のうち、食中毒対応等を担う「衛生部門」を市内1カ所の「医療衛生センター」に「統合」し、行政区には「医療衛生コーナー」を残した。感染症対策を含む「医療部門」も市内1カ所の「集約部門」(現・医療衛生企画課)に「統合」した。これに伴い、各行政区の保健所支所に在籍していた保健師はじめ多くのスタッフが、市内一カ所のオフィスに寄せ集められた。区役所には難病・障害・高齢・母子の各分野への対応が残され、それらは福祉事務所と「統合」された。現在、各区役所にかつての保健所機能はほぼ残っていない。医師数がそれを象徴している(図④)。

2010年には27人いた医師が2020年にはたった8人。8人の医師が複数行政区を担当し、市内1カ所に集められているのである。保健所と地区医師会が日常的に連携し、地域全体の健康を支えてきたつながりも薄くなった。これが今日のコロナ禍において、自宅療養者に対する保健所と地区医師会の連携した取組が行われていない要因の一つだと考えられる。
 もう1つ、機構改革のもたらした重要な変更がある。保健師の任務分掌が「地区担当制」から「業務担当制」へ変更されたことである。「地域保健法」の施行を境に、従来一般的だった「地区担当制」(保健師が担当地域を受け持ち、担当地域全体を対象にオールマイティに活動する)が、子ども担当、精神担当と、「業務」別に分担する体制へと移行する自治体が増えた。これは主に業務の効率性に着目した変更と考えられる。京都市も行政区保健所全廃を契機に地区担当制から業務担当制に移行した。ある保健師は「1人の人を全体として捉えることが困難になった」と業務担当制の問題点を指摘する。たとえば精神疾患のある住民を精神疾患というフィルターだけで捉えるのでなく、その人の生活する地域全体のモニタリングの中でその人の健康課題を捉えるということが難しくなってしまった、ということである。

(5)全国的な保健所数減少と地域保健法 
 保健所数減少は京都市特有の出来事ではなく、都道府県の保健所も大きく減少している。契機となったのは1994年の「保健所法」から「地域保健法」への改正(全面施行は1997年)である。同法は市町村に設置され始めていた「保健センター」を住民の健康課題の身近な総合窓口に位置づけ、保健所は必要な専門的・技術的助言機関へと役割分担した。同法施行に伴い、保健所設置基準も従来の人口10万人に1カ所から二次医療圏に1カ所へ変更され、保健所数の激減につながった(図⑤)。
 京都府の保健所も例外でなく、それまで、峰山・宮津・舞鶴・綾部・福知山・園部・亀岡・周山・向陽・宇治・田辺・木津に設置されていたものが、2004年段階で丹後・中丹東・中丹西・南丹・(京都市)・乙訓・山城北・同綴喜分室・山城南と、12カ所から7カ所1支所へと再編された。同様に政令市の保健所でも大阪市、名古屋市等、後に京都市がたどったのとほぼ同じ形で「集約化」が進められたのである。

(つづく)