プーチンの「初歩的誤り школьная ошибка」
―言語と民族をめぐって(上)
神谷栄司(元佛教大学教授)

 ウクライナ侵略を決断したプーチンは精神に異常をきたしているのではないか、という報道がある。その真偽は、精神科医が彼を診察して判断するほかに明らかにする手だてはない。精神疾患かどうかは別にして、彼が過剰に感情的になっていることはたしかであろう。その状況をひもとく手がかりは、2021年7月に公表されたプーチンの論文「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について」にありそうだ。論文という知性の働きの結晶に誤謬があるとき、その問題を突きつめてみると、その極限において情動が知性と切り離されてひとり歩きすることさえある。かれの場合、おそらく情動過多状態の条件の1つはこれであろう。

 この論文と、BBCによるロシア、ウクライナの歴史学者へのインタビュー記事をインターネット上で入手した。これらをもとに、プーチンの理論的誤謬の核心を明らかにしたい。

〔プーチンのテーゼ〕

 中心的な理論的論点は、ロシアとウクライナとの言語と民族の問題をどのように見るのか、より具体的に言えば、①ロシア語とウクライナ語は歴史的に見てある時期までは同じ言語であってその後に言語の分化が生じたのかどうか、また、これとも関連するが、②ロシア人とウクライナ人は同じ民族であるのかどうか、という点にある。

 プーチンは次のように述べている(BBCの記事より)―「11、12、13世紀までわれわれ〔ロシア人とウクライナ人〕にはいかなる言語上の違いもなかった」。「ポーランド・リトアニア王国の支配下にあった地域に住んだウクライナ人の一部は、まさしくポーランド語化〔полонизация〕の結果のなかにあった。どこかで、私の見解では、16世紀に初めて最初の言語的差異が現れたのである」。

〔歴史学からの批判① 「ポーランド語化」と「ドイツ語化」〕

 プーチンのこのテーゼについて、ロシアとウクライナの歴史学者はどちらも―程度の違いはあるとはいえ―学問的な妥当性をもたないことを簡潔に論証している。いくらかの解説をまじえつつ、彼らのそれぞれの趣旨を紹介することにしよう。

  ロシアの歴史学者、アンドレイ・ズボフの論旨は次のものであった―古代ロシア国家〔древнерусское государство、具体的には「キエフ・ルーシ」つまり「キエフ大公国」822年頃−1240年を指すであろう〕の崩壊後、リトアニア大公国〔1263(1251)年−1795年。1430年からポーランド王国との連合〕に入り、後にウクライナとベラルーシになった地域の諸言語には、たしかにポーランド語化〔полонизм〕がみられる。しかし、興味深いことに、「大ロシア語」〔ロシア帝国時代等のロシア語〕よりもこの言語〔おそらくベラルーシ語・北部ウクライナ語方言の古い形態〕の方が、「古代ロシア語древнерусский язык」〔教会スラヴ語が方言化された書記言語〕に近い。

 他方、「大ロシア語」もピョートル大帝〔在位1682−1725年〕の時代に「ドイツ語化」〔германизм、もっとも現代ドイツ語ではなく当時のサクソン語・高地ドイツ語の影響による〕されている。その時代には上流階級はドイツ語で話し、後にはフランス語で話していたからである。

 ここで着目しておきたいのは、プーチンはベラルーシ語とウクライナ語のポーランド語化〔полонизмあるいはполонизация〕は指摘しているもののロシア語のドイツ語化〔германизм〕には言及していないことである。ところで、11−13世紀まではロシア人とウクライナ人にあいだには言語的な違いはないと考えるプーチンが一方のポーランド語化は語るものの他方のドイツ語化は語らないということは、ロシア人の言語こそ正統な流れのなかにあり、ウクライナ語はポーランド語の影響をうけたその方言にすぎない、とでも考えているのであろうか。プーチンが何を根拠にして「言語的な違いはない」と考えたかについては、あとで述べることにしよう。

〔歴史学からの批判② ロシア帝国的歴史図式、軽視される言語学〕

 ウクライナの歴史学者キリル・ハルシコは、まず、プーチンのテーゼにはオリジナルなものはまったくないと断じている。―2012年まではロシア民族と再結合をはたした個別の民族としてのウクライナ人という「ソヴィエト的歴史図式」、2012年以降は大ロシア人・小ロシア人・ベラルーシ人は1つのロシア民族の諸部分であるとする「古いロシア帝国的図式」に回帰した〔2012年が何を意味しているのかは書かれていないが、おそらくその年の大統領選のことであろう〕。

 プーチンによる言語の起源、民族の規定はこの帝国的図式に沿っているとすれば、言語の同一起源、同一民族という考えがよくわかり、かつ、かなり単純なものであると言えるだろう。

 言語の差異について、ハルシコは言語学的にプーチンの誤りを指摘している。11−13世紀に言語における相違がない根拠は、古代ロシア〔キエフ・ルーシ〕の地では「事務書記と年代記」が教会スラブ語で書かれていたこと、であろう。この教会スラブ語は古ブルガリア語のソルン〔マケドニアの1地方〕方言〔つまり東スラヴ語群ではなく南スラヴ語群に属する言語〕であり、当時、全スラヴ諸民族が理解する「書記言語」であった。現代のチェコの1地方にあたるモラヴィアでも使用されており、これを根拠にするなら、ロシア人とチェコ人は同一民族となってしまう。ちょうどラテン語を書記言語として用いていたイタリア人、フランス人、イギリス人、ドイツ人も同一民族となってしまうが、それらは事実に反する。

 ハルシコが言うように、一方には「口頭の言語」があり、他方には「書記と公式の言語」がある。そして、かれは次のように結論づけている―「現代言語学の諸研究が是認していることなのだが、東スラヴの人々には共通の出発的言語〔いわゆる祖語のことであろう〕がなかった。すべてのスラヴ諸民族には―南スラヴ、東スラヴ、西スラヴにおいても―原初的な諸原方言〔протодиалекты〕があり、それらがのちに現代のスラヴ諸語に転化した。すなわち、ウクライナ人とロシア人の生活次元における言語的共通性は存在しなかったのである」。

 これをやや敷衍すれば、現代では各言語にそれぞれの「口頭」と「書記」の言語、つまり何語によらずそれぞれに「話しことば」と「書きことば」があり、明らかに言語の変化を主導するのは「話しことば」である。その証しとなるのは、古代や中世における「漢文」「教会スラヴ語」「ラテン語」がそうであったように、文字システムの種類はかぎられており、それとは別に各民族・種族の方言を含む「話しことば」が膨大にあったと考えるのが適当であろう。プーチンが自己の論文のなかで述べていることによれば、書記言語は同一であり〔これは教会スラヴ語を意味するなら事実である〕、口頭言語の違いも顕著ではないとする根拠は、唯一、17世紀のはじめにギリシャカトリック〔宗教合同派〕教会のある主教のローマへの報告書にあった。そこでは「モスクワ公国の住民がポーランド・リトアニア王国出身のロシア人を兄弟とよんでいること、かれらの書記言語は完全に同一であるが、口頭言語は違いがあるとはいえわずかなものである」と記されていたようである。

 これがプーチンが示している唯一の証拠なのであるが、他方、ハルシコの論述から導きだせるのは、以下のことである。サンスクリット語・ギリシャ語・ラテン語から理論的祖語を構成しうる印欧語族のなかにスラヴ語派−東スラヴ語群は位置づけられるが、スラヴ語派も東スラヴ語群も共通の「祖語」を理論的に設定できず、したがって、すべてのスラヴ諸民族の言語は方言なのであり、理論的には祖語ではなくそれぞれの原方言にさかのぼることができるのみである。言いかえれば、プーチンのように個別的1事例のみをあげて証明したと考えるのではなく、祖語の理論的構築のような数言語の音韻や文法の総括的諸事実による証明こそ学問的である。そのことから、言語としていささかも問題は生じない。わが日本語は統語論や助詞において朝鮮語と似ているが、言語学は両者に共通する祖語を解明していない。だが日本語話者として祖語が不明ということに何の不都合も感じられないのである。


プーチンの「初歩的誤り школьная ошибка」
―言語と民族をめぐって(下)
神谷栄司(元佛教大学教授)

〔漢文と日本語〕

 プーチンの言語と民族の考え方に根拠がないことは、わが国の事例からも明らかである。『古事記』(712年)は全文漢字で書かれており、中国語版ウィキソースによると「序」の書き出しは次のものである―「臣安萬侶言。夫混元既疑。氣象未効。無名無爲。誰知其形。」これだけを見れば当時の中国語かと思う。ところがそれには〔臣安萬侶言す。夫れ、混元既に疑れど、氣象未だ効さず、名無く爲す無く、誰も其形を知らず。〕とルビの形で日本語の読み方が記されている。もちろん、その読み方は後の研究によるのであろうし、その有力な手がかりはおそらく同時代の『万葉集』の万葉仮名にあったであろう。

 では『万葉集』は話しことばであるかと言えば、そうとはいえない〔音韻は話しことばの反映ではあるが〕。7世紀前半から759年までの約130年間、4500首以上の短歌が収録され、うち詠み人不詳2100首以上、天皇から防人、農民までの作品が収められている。漢字から意味を取り除いて音だけを伝える万葉仮名によって、読み方が明らかになっている。ちなみに「漢字から意味を取り除いて音だけを伝える」という機能は、現代中国語ももっている。たとえば、Marx〔マルクス〕は「馬克思」と表記される。いうまでもなくマルクスは馬の意味とは無関係である。

 『古事記』の類推される読み方も、『万葉集』の読み方も(後者には方言が含まれていると言われるが)、当時の「話しことば」の影響をうけつつも「話しことば」そのものではないであろう。それは現代の短歌からも類推できることである。現代の短歌であっても、俵万智の他には話しことばそのものである歌は少ないであろう〔たとえば、彼女の1首、《「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの》、は完全に話しことばで謳われている〕。

 「漢字」や「漢文」について書いてきたが、『古事記』が漢文で書かれ、韓国歴史ドラマでよく出てくる「公文書」等が漢字のみで記されているからといって、朝鮮語も日本語も中国語も歴史的にある時点まで言語的差異はなく、朝鮮語も日本語も中国語の方言である、したがって、朝鮮人も日本人も同一の中国民族であるなどという政治家はさすがに誰もいないだろう。プーチンが書いていることを東北アジアに即して言えば、そうした荒唐無稽な話になる。

〔言語にかんするプーチンの誤り〕

 最後に、プーチンの誤謬を簡潔にまとめておこう。

 第1に、言語と民族との規定は、根本的には「ロシア帝国的図式」に則っていること(ハルシコによる)、プーチンの頭のなかにあるのはこの復古的な図式であろう。かれの頭は21世紀はおろか20世紀にも生きていない。大ロシア、小ロシア、白ロシアというロシア帝国時代の「大ロシア主義」にほかならない。とくに言語についてはこれが見事にあてはまるが、問題はそれにとどまらない。言語の問題は民族の問題に関連してくるし、さらには国際関係にもつながってくる。これは国際法の尊重か軍事力(暴力)の信仰かの問題であるが、これは拙稿の範囲を超えるので、これ以上は触れないでおきたい。

 第2に、言語学の成果に立脚していないこと〔書記言語と口頭言語の相違を理解していないことが致命的である〕、より一般的にいえば、学問を尊重していないことである。自身が物理学者でもあるドイツのメルケルは、無限という概念を知ったとき人間は謙虚になれる、と述べたといわれるが、スパイにあこがれスパイになったプーチンは、まるで自分が無限であると言いたげなくらい、白を黒と言いくるめて事実をおおい隠す努力をつみ重ねている。それはスパイ的技法の政治とさえ言えようか〔SNSの時代―それをわたくしは良くも悪くも「市民ジャーナリスト」の時代と呼びたい―にはそれが動画等によって白日の下にさらされている〕。いうまでもないが学問の尊重の第1歩は事実の尊重である。

〔おわりに―「上から目線」と多様性との対抗軸〕

 わが国にもすぐれたことわざがある。「以って他山の石となす」とは、他人の良くない言動を自分の人格の修養に用いるという意味である(『広辞苑』第6版より。中国の「詩経」に由来)。まさしくプーチンを「他山の石」とすべきであろう。政治家についていえば、戦前への郷愁をただよわせるような人もいれば、学術会議会員の被推薦者の一部の任命を拒否してその理由さえ述べない、学問を尊重しない人もいる。これらの人たちはプーチン批判をするなら同時に自分の批判をすべきであろう。また、データ偽装、文書の書きかえなどは事実の尊重とは無縁な、スパイ的技法の運営や行政である。こうした人びとが肥大化すればプーチンと紙一重となるであろう。

 より広範な問題と関連させ、わかりやすい言葉で表現するなら、プーチンという「他山の石」から生まれてくるのは、「上から目線」と多様性との現代的な対抗軸である。ふたたび言語について語るなら、言語の親近性や同一性の強調ではなく、言語の違いを多様性のなかでとらえるとき、どれだけ豊かな世界が広がることか。

 ウクライナ西部のリヴィウを訪問したとき、スーパーマーケットの大きな看板に書かれた「КАВА」〔カヴァ〕の文字に眼がとまった。ウクライナ人にたずねてみると「コーヒー」のことだと言う。その後、なにかの折に、ポーランド語でもコーヒーをKAWA〔カヴァ〕と同じ発音であること、チェコ語でもKAVA〔カーヴァ〕と呼ばれることを知った。さらに、トルコではコーヒーをKAHVEと呼んでいるようであった。ロシア語ではコーヒーはКОФЕ〔コーフェ〕といい、あきらかにフランス語のCAFÉ〔キャフェ〕に類似している。KAHVEはKAWAにもCAFÉにも似ている。これらはコーヒー伝搬の経路や範囲を表しているようで、広くヨーロッパ諸言語を調べれば興味深い結果が得られるかもしれない、と思った。

 日本語には8百もの色彩名があると言われる。四季の彩りに魅せられて、それらを区別するまでに日本人の眼は発達した。演歌では津軽は「こな雪・つぶ雪・わた雪・ざらめ雪・みず雪・かた雪・春待つ氷雪」と7つの雪が降ると唄われるが、さらに北方に住むエスキモーは数十の雪を区別し伝えあう。

 ひとつひとつの語は人類の認識を表している。まさしくベラルーシ出身のヴィゴツキーが好んで参照したように「語は理論である」(ウクライナの言語学者ポテブニャ)。