1986年、フィリピンでは、国民の大規模な抗議行動(エドゥサ革命)によって、独裁者として長年君臨したフェルディナンド・マルコスが取り巻きたちとともに追放された。国民の力―ピープルパワー―が独裁政権に打ち勝ったのだ。そして翌年に成立した第五共和国では、憲法に自由権が明文化されるとともに、マルコス政権が徹底的に否定されたはずだった。だが、かつての政権を美化し続けてきた独裁者の息子フェルディナンド・マルコス・ジュニアは、2022年の大統領選で人権派候補を抑えて当選した。しかもマルコス・ジュニアは、第五共和国で初めて、有権者の過半数の支持を得た大統領となったのである。いったい、海を隔てて日本と接するフィリピンで、何が起こっているのだろうか。小論では、その点について、明らかにしてみたい。
虚偽情報による世論操作
2021年ノーベル平和賞受賞者でジャーナリストのマリア・レッサは、マルコス・ジュニアの当選についてこう語った。「今回の選挙は、虚偽情報を通じた組織的な世論操作のもたらす影響の大きさを物語っている。こうした活動によって、フィリピン人の歴史観は、私たちの目の前でまさに作り変えられてしまったのである」。ソーシャルメディアは世界最大のニュース配信者となる一方で、虚偽情報の拡散を防ぐ対策は不十分だ。事実や根拠に基づく情報を、情報の洪水のなかから見抜くことはますます難しくなっている。
ソーシャルメディア・サービスは、「いいね」「ツイート」などのデジタルフットプリントからユーザーの心理的プロファイル(特性と状態)を抽出する。そして、一人ひとりの心理的動機を踏まえた情報提供を行い、それを通じてユーザーの態度や行動に影響を与えようとする。「サイコグラフィック・ターゲティング」と呼ばれる手法だ。ケンブリッジ・アナリティカは、この手法を用いていた選挙コンサルティング会社であり、ドナルド・トランプの米大統領当選で注目を集めた。同社の元事業開発部長は、ソーシャルメディアにおけるマルコスのブランドを再生させたいとして、マルコス・ジュニアからアプローチがあったことを明かした。なお、ケンブリッジ・アナリティカ社の親会社のストラテジック・コミュニケーション・ラボラトリーズ社は、ロドリゴ・ドゥテルテ前大統領(在2016年~2022年)の大統領選勝利に一役買ったことを認めている。
フィリピンでは、人の数だけ真実があるというポストモダン的な立場をとる知識人が多く見られる。そして、他人の主張の誤りを指摘するのは失礼だという考え方はインテリ層だけでなく、一般社会にも広がっている。こうした知的雰囲気のなかでは、物事の真偽を突き止めようとする人々は不寛容と見なされる。マルコス・シニア政権時代の歴史「修正」をもくろむ虚偽情報の流布には、いわば煙幕が与えられることになったのである。
自由権の回復と経済自由化の加速
20年間に及んだマルコス・シニア政権(1965年~1986年)では、社会にくすぶっていた不満が表面化し、爆発した。とくに1972年に戒厳令が敷かれて以降、民主活動家や人権活動家に対して治安機関が行うレイプ、拷問、殺害などが日常的に見聞きされるようになった。このため、毛沢東思想の影響を受けた新人民軍や、イスラーム思想を軸としたモロ・イスラム解放戦線などが社会から支持を広く集めるようになった。さらに、 1970年代末に始まる経済危機によって国民の不満はさらに高まり、1986年にマルコス・シニア政権はようやく打倒されたのである。
マルコス・シニア独裁政権時代の反対勢力は大きく分けて、自由民主主義派(LibDem)、社会民主主義派(SocDem)、民族民主主義派(NatDem)から構成されていた。マルコス・シニア政権の打倒後も、このうち社会民主主義派と民族民主主義派は治安機関から弾圧されていたため、政府を率いたのは自由民主主義派だった。かれらは、フィリピン経済が破綻したのは、汚職、贈収賄、身内(クローニー)びいき、過度な贅沢といった権力の乱用が原因だとする立場をとり、指導者は清廉潔白であるべきだと説いた。たしかに、当時の円借款を例にとれば、マルコス・シニアは援助額の一割を懐に入れていたとも言われる。しかし他方で、自由民主主義派が無視したのは、フィリピンなど発展途上国への投資・債務の流入は、産油国と工業製品輸出国が保有する金融資産を貿易に還流させるために、民間多国籍金融機関や公的援助機関によって押し進められたという事実だった。かれらはまた、国際市場における商品価格の暴落、インフレ対策として行われた米国の金利引き上げが当時の累積債務問題の主因であることも無視した。こうして自由民主主義派は、マルコス・シニア政権が導入した自由化政策を見直すどころか、さらに加速させた。マルコス・シニア政権が生み出した、政府に対する国民の不信を利用し、規制緩和にとどまらず、国有企業の民営化=私有化を推進し、公共交通機関や電力をはじめ水道の民営化まで実施したのである。
経済の自由化と民営化が行われた結果、マルコス・シニア政権に比べて、渋滞は悪化し、街頭犯罪は急増するとともに、貧富の格差(最高五分位所得と最低五分位所得の比率)も地域間格差(国内総生産に占める首都内総生産の比率)も広がった。また、輸出主導型工業化政策の一環として、コラソン・アキノ政権(1986年~1992年)が推進した農地改革では、アキノ家をはじめとする多くの大地主によって農地から工業団地への大規模な転用が実施され、大量の小作人や農業労働者が家族もろとも土地から追放された。また、1987年には抜本的な農地改革を求める農民のデモ隊が治安機関に殺害される「メンジョラ橋虐殺事件」も起きている。実際のところ、経済の自由化と民営化を進めたアキノ家を代表とする自由民主主義派への不満は広範囲に蓄積していったのである。
民族民主主義派は、思想面では新人民軍と似ており、第五共和国の設立に非協力的だった。自由権の回復によって一般社会からの支持が弱まったこともあって、民族民主主義派は退潮した。さらに、マルコス・シニア政権末期から第五共和国初期にかけて、内部で粛清が進み、拷問や殺害で多くの被害者を出したことも弱体化の要因となった。さらに生じた権力闘争の結果、毛沢東思想の継承を掲げる勢力が主流派となった。一方、民族民主主義派から排除された人々は、社会民主主義派に合流した。この社会民主主義派は選挙に積極的に参加し、下院議員の当選もすぐに実現させた。残された民族民主主義派も、支持がさらに減ることを恐れて、後には選挙に参加するようになった。選挙では民族民主主義派と社会民主主義派とが対立する状況が続いた。2010年総選挙では、社会民主主義派は自由民主主義派の指導者ペニグノ・アキノ三世(コラソン・アキノの息子)を支持した。これによって、社会民主主義派はアキノ三世政権(2010年~2016年)内部で力を持ち、社会経済政策で影響力を発揮したため、第五共和国では初めて貧富の格差が大きく縮まった。その一方、この年の総選挙では、民族民主主義派が支持した政党はマルコス・ジュニアを上院議員選挙の候補として擁立した。マルコス・ジュニアは上院議員一二人中、七番目での当選ではあったが、マルコス家が全国の表舞台に復帰したのだ。マルコス・ジュニアの上院議員選出は、自由民主主義派、社会民主主義派、民族民主主義派の対立の産物だったとも言えるのである。
米中対立におけるフィリピンの地政学的な位置
マルコス・ジュニアは大統領選の勝利後ただちに、ドゥテルテ政権の親中政策を継続すると発表した。その背景には、マルコス・ジュニアと米国との関係が微妙なものになったことがある。マルコス・シニア政権末期には、米国が政権支持を撤回するとともに、1993年に米国における人権侵害関連訴訟でマルコス・シニアに責任があるとの判決が下されたこともあったからだ。その一方、中国は、マルコス・ジュニアが北イロコス州知事を務めていた2007年に同州に領事館を設置し、マルコス・ジュニアとの関係を強めた。例えば、2021年に中国政府は領事館と在フィリピン中国大使館を通じて支援物資を州政府に寄贈した。この20年を通して中国政府は、政治家との関係を広範囲に強めた。町長から大統領に至るまで人脈を築いたのである。
備考:地図を加工して、「第1列島線」「第2列島線」「アチソン・ライン」という線、また、「日本」「フィリピン」「中国」「グアム」という国・地域名を追加
フィリピンは、米中両国にとって地政学的な価値が高い。中国人民解放軍は、東シナ海と南シナ海を囲み、九州から台湾、フィリピンとマレーシアを経て、ベトナムに至る線を「第一列島線」と定義した。そして、日本から小笠原諸島を経てグアムを結んだ「第二列島線」の内側には、フィリピンがすっぽりと入っているのだ。この二つの線の内側を勢力圏内とし、米国を締め出そうというのが、中国軍の戦略である。だが、フィリピンは、米国と安全保障条約を締結しており、米国が唯一の同盟国である。また、米国は、フィリピンをアリューシャン列島から、日本海を経て、グアムにいたる「アチソン・ライン」に組み入れた。これはアジア大陸から発生する脅威から守るための不後退防衛線として1950年に設定されたものだった。また、フィリピン軍は米軍との関係が長い。第二次世界大戦や朝鮮戦争で一緒に戦ったことがあり、親ソ派のフィリピン共産党の弾圧でも米軍から支援を受けた歴史がある。フィリピンから米軍基地が撤去された後も、比米両軍の共同訓練は繰り返し行われており、親中政策をとったドゥテルテ政権下でも、過去最大規模の共同訓練が実施されているのである。
マルコス・ジュニアは、マルコス・シニア政権時代の歴史を美化し続けるだろうし、彼がそうした態度を顧みて改めない限り、人権派勢力は批判のトーンを高めていくだろう。マルコス派と人権派との対立は激しくなっていくことは想像に難くない。他方で、親中派政治家たちが中国への傾斜を過度に深めれば、フィリピン国軍が、米国の後押しを受けた上で、秩序と正義を回復させるとの名目で「人民と国の防衛者」(フィリピン憲法第二条)として権力奪取に動く可能性もある。フィリピンは台湾に次いで、日本のすぐ南に位置する国であり、今後も事態を注視していくことが求められるのである。