Ⅱ わが国の最低賃金制度の改革を
1 わが国の最低賃金の低水準
2022年8月2日、中央最低賃金審議会は、2022年度の地域別最低賃金額の引上げ額についてA・B分類地域では31円、C・D分類地域では30円とする目安額を提示した。これを受けた各地の地方最低賃金審議会の答申額は30円ないし33円となり、その結果、最高額は東京都の1、072円であるのに対し、最低額は青森・秋田・愛媛・佐賀・長崎・熊本・宮崎・鹿児島・高知・沖縄の10県の853円となった。最高額と最低額の差額は219円で前年より2円縮小したが、依然として格差が著しい傾向は続いている。最低賃金の大幅引き上げは、地方における地域経済を活性化するうえで重要な意義を持つ。若者の地域から都市部への流出状況を改善していくことにつながるためである。
わが国の最低賃金額はOECD諸国の最低賃金額と比べて低額である。もっとも、諸外国との比較については、それぞれの国の賃金の中央値と比較することが一般的であり、合理的と考えられる。この比較が別表3である。
OECD統計調査によれば、2020年時点におけるフランス、イギリス、韓国および日本の賃金の中央値に対する最低賃金額の割合は以下のとおりである。
フランス 0.61
イギリス 0.58
韓国 0.62
日本 0.45
韓国がフランスを上回っているのであるが、韓国の2013年の数値は0.44であり、同年の日本の数値である0.39と大きな差はなかったのである。
2 地域別最低賃金制度から全国一律最低賃金制度へ
わが国では、地域別最低賃金制度が実施されている。地域間格差がきわめて大きく、地方における労働力不足や地域経済の衰退の一因であるとされている。
1988年から2021年までの地域別最低賃金の地域間格差の推移は以下の表のとおりである。2022年は、最高額が東京の1072円、最低額は青森・秋田・愛媛・佐賀・長崎・熊本・宮崎・鹿児島・高知・沖縄の10県の853円となった。最高額と最低額の差額は219円で前年より2円縮小し219円となったが、依然として格差が著しい状態は続いている(別表4)。
最低賃金の地域間格差が依然として大きく、格差が是正されていないことは重大な問題である。最低賃金の高低と人口の転入出には強い相関関係があり、最低賃金の低い地方の経済が停滞し、地域間の格差が縮まるどころか、むしろ拡大している。都市部への労働力の集中を緩和し、地域に労働力を確保することは、地域経済の活性化のみならず、都市部での一極集中から来る様々なリスクを分散する上でも極めて有効である。
最低賃金法によって地域別最低賃金を決定する際の考慮要素とされる労働者の生計費は、最近の調査によれば、都市部と地方の間で、ほとんど差がないことが明らかになっている(「最低生計費調査結果」全国労働組合連合会調べ 監修静岡県立短期大学中澤秀一准教授 2022年4月時点で25都道府県の調査結果が公表されている。)
これは、地方では、公共交通機関の利用が制限されるため、通勤その他の社会生活を営むために自動車の保有を余儀なくされることが背景にある。そもそも、最低賃金は、「健康で文化的な最低限度の生活」を営むために必要な最低生計費を下回ることは許されない。労働者の最低生計費に地域間格差がほとんど存在しない以上、全国一律最低賃金制度を実現すべきである。
現在、厚生労働省の中央最低賃金審議会において「目安制度のあり方に関する全員協議会」が設置され検討がなされており、2023年3月をめどに報告がまとめられる予定である。2020年、2021年中央最賃審議会は、A~D全ての地域に一律の目安額を示し、さらにC、D地域では目安額を上回る答申が相次いだ。全員協議会においては、地域間格差の拡大をもたらした目安制度がもはや機能不全に陥った現状を直視し、目安制度に変わる抜本的改正策として、全国一律性実現に向けた提言をなすべきである。
3 中小企業支援
最低賃金引上げに伴う中小企業への支援策について、現在、国は「業務改善助成金」制度により、影響を受ける中小企業に対する支援を実施している。しかし、利用件数はごく少数である。我が国の経済を支えている中小企業が、最低賃金を引き上げても円滑に企業運営を行えるように充分な支援策を講じることが必要である。具体的には、社会保険料の事業主負担部分を免除・軽減することによる支援策が有効であると考えられる。
我が国の経済を支えている中小企業が、最低賃金を引き上げても円滑に企業運営を行えるように充分な支援策を講じることが必要である。具体的には、諸外国で採用されている社会保険料の事業主負担部分を免除・軽減することによる支援策が有効であると考えられる。中小企業への充分な支援策とセットによる最低賃金の大幅引き上げと全国一律制の確立を求めていくものである。
4 最低賃金制度の法改正にあたって
(1) 移行期間
最低賃金を全国一律にするべきとの主張は、けっして東京の最低賃金額を下げることを主張するものではない。全国で最も高い東京の地域別最低賃金額でさえ、最低生計費を大きく下回っているからである。時間あたり220円以上存在する地域間格差を一挙に解消することは困難である。一定の期間をかけて段階的に解消すべきである。
(2) 地方最低賃金審議会の存続について
また、全国一律最低賃金制度が確立するとした段階において、最低賃金額を審議確定するのは、中央の審議会であり、現行の地方最低賃金審議会は不要ではないかと考えられる。
しかしながら、最低賃金額の確定には、全国各地の各産業における経営状況や労働環境等を十分に調査し、その結果をきちんと勘案することが必要である。各地の労働局に任せるのではなく、各地の労使の意見がきちんと集約できる現行地方最低賃金審議会を廃止することはもったいないのであり、組織の性格を変更するとしても存続させて活用すべきではないか、今後検討すべきである。もとより、地域の産別賃金を審査するためには、地方最低賃金審議会が必要となろう。
(3) 最低賃金額の判断基準
既述したとおり、わが国における最低生計費調査の結果によれば、全国の労働者が健康で文化的な最低限度の生活を営むための必要費については大きな格差がないことが明らかとなった。最低賃金制度は、第一義的には一定水準を下回る低賃金を解消して、労働条件の改善を図ることが目的である。その趣旨に鑑みれば、最低生計費を上回ることが最低賃金額決定の不可欠の基準とすべきと言える。現行法は、①労働者の生計費、②労働者の賃金、③通常の事業の支払能力の3つを考慮要素としているが(9条2項)、③通常の事業の支払能力を理由として、最低賃金額の引き上げを拒絶することは最低賃金制度の趣旨に反する。もちろん、中小零細企業の経営の安定を確保すべきことは重要な施策であるが、それは行政責任であり、中小零細企業の経営能力を最低賃金額検討の考慮要素からは削除すべきである。
(4) 審議会の構成
現在、中央及び地方の最低賃金審議会は、公・労・使それぞれ同数の委員で構成されており、中央および東京と大阪の審議会は、公・労・使各6名であり、その他の地方審議会は各5名である。労働側の委員は、中央及び全国の審議会ともに連合傘下の組合が推薦したものだけが選任され、他のナショナルセンター傘下の労働組合から推薦されたものは1人も存在しない。労働委員会の労働側委員の選出や労働審判制度の審判員の選任における構成とは異なっている。連合の労働組合員に対する組織率は70%程度であり、連合側が国を代表するナショナルセンターであることは間違いない。ただし、労働者に占める労働組合員の比率は17%に過ぎない。最低賃金を審議する労働側委員の代表として多様な労働者代表の選任のために工夫が必要と考える。
(5) 審議の公開
審議会の公開については、それぞれの審議会によってまちまちである。多くの審議会では一定程度の公開や議事録概要の作成などが行われているが、実際に最低賃金額の審議をおこなう専門部会については、ほとんどの審議会において、非公開とされている。最低賃金額がどのような客観的事実をもとにしてどのように議論されたうえで確定したのかが外部からは知り得ないのである。これでは、最低賃金制度についての市民の信頼は不十分とならざるを得ない。専門部会を含めた審議会すべての全面公開がなされるべきである。
5 最賃運動について
韓国では、2018年に16.4%、2019年に10.5%と最低賃金の大幅引き上げを実現した。かかる引き上げが急激すぎたことから一定の混乱が生じたことは事実であるが、これだけ大きな引き上げが実現したことによって、低所得者層の底上げは大きく前進した。2020年の引き上げ率は1.5%だったものの、2021年は5.1%、2022年は5.0%上昇を実現している。こうした引き上げを実現させた運動はどのようにつくられたのであろうか。韓国における近年の最低賃金大幅引き上げの運動を先導しているのは「最低賃金連帯」である。最低賃金連帯は2002年31団体で結成された。労働団体としては、全国民主労働組合総連盟、韓国労働組合総連名、全国失業団体連帯、全国女性労働組合、韓国女性労働者会、青年ユニオン、アルバイト労働組合である。社会運動団体としては、民主社会のための弁護士の会、民主化のための全国教授協議会、民衆の夢、ソウル市者会福祉社協会、ソウルYMCA、外国人移住運動協議会、全国女性連帯、韓国青年連帯、21世紀韓国大学生連合、経済正義実践市民連合、労働健康連帯、労働人権会館、カトリック労働牧師全国協議会です。シンクタンクとして、韓国非正規労働センター、韓国貧困問題研究所、韓国労働社会研究所が参加しています。そして、政党として、共に民主党、正義党、民衆連合党、労働党が参加しています。きわめて広範囲の労働団体、市民団体、研究機関、そして多数の政党が一緒になって運動進めてきたのである。
韓国では、最低賃金の引き上げを共通目標として、政党支持や政治信条が異なる多くの団体が結集したことによって、こうした大幅引き上げが実現したと評価できる。わが国においても、非正規労働者はもちろん正規労働者を広く結集した多くの労働団体の結集はもとより、中小企業経営者団体や消費者団体、法律家団体などを含む多くの団体や市民が最低賃金の引き上げと全国一律最低賃金制度の実現を目指して結集することが求められている。
6 最後に
わが国の賃金が低すぎること、経済を活性化させるために賃金を上昇させることが必要であることは、いまや政権も含めた公労使の共通認識である。にもかかわらず、春闘においては大幅な賃金上昇を労働側は獲得できていない。こうした中で、ますます最低賃金近傍労働者は増加しており、最低賃金の引き上げは重要な意義を有している。さらに、東京一極集中を是正し、地方の経済活動を活性化させるためには最低賃金制度を全国一律制度に切り替えることが必要となっている。多くの皆さんがこの運動に参加されることを期待する。
(本稿は労働弁護団発行の「季刊労働者の権利」に掲載した論文に加筆修正したものである)