厚生労働者は毎年、『過労死防止対策白書』を公表している。過労死等防止対策推進法の第6条に基づいて国会に対して行う年次報告書である。2022年10月21日には、「令和4年版(令和3年度 我が国における過労死等の概要及び政府が過労死等の防止のために講じた施策の状況)」が公表された。
これによると、2021年度における「脳・心臓疾患に係る労災請求件数」は753(前年度比31減)、うち「脳・心臓疾患に係る労災支給決定(認定)件数」は172(うち死亡は57。前年度比で支給決定件数は22減、うち死亡は10減となっている)。同年度における「精神障害に係る労災請求件数」は2,346(前年度比295増)、うち「精神障害に係る労災支給決定(認定)件数」は629(うち死亡は79。前年度比で支給決定件数は21増、うち死亡は2減となっている)。
ここでの数字はあくまでも労働災害(労災)の請求に係るものであり、過労死・過労自殺の実態を正確に表しているわけではないが、依然として深刻な実態にあることが示されている。とりわけ精神障害に係る労災請求件数と労災支給決定(認定)件数は増加傾向にある。過労死・過労自殺は身近にある問題であることを確認しておきたい。
なお、『白書』では、国家公務員、地方公務員それぞれの「公務災害の補償状況」についても記述されているが、ここでは省略する。
さて、2014年6月20日に成立した過労死等防止対策推進法は、過労死家族や研究者、弁護士、労働組合などの粘り強い運動を受けて議員立法として制定されたものである。その運動の大きな一翼を担ったのが過労死弁護団全国連絡会議(https://karoshi.jp/ )である。これまでに同会議編の『過労死-その実態、予防と労災補償の手引き』(双葉社、1989年);『KAROSHI[過労死]』窓社、1991年;『KAROSHI[過労死]国際版』窓社、1991年などの書籍や所属弁護士の著書が刊行されている。
このような蓄積も踏まえながら、2022年に2冊の書籍が刊行された。過労死弁護団全国連絡会議『過労死 過重労働・ハラスメントによる人間破壊』旬報社とその英語版(Karoshi : How Overwork, Stress and Harassment Destroy People)である。日本語版は約130頁、英語版は約160頁とハンディなものとなっている。価格も日本語版が1,300円(本体価格)、英語版が1,500円(同)と入手しやすいものになっている。
出所:いずれも旬報社のウェブサイト(https://www.junposha.com/ )。
以下、本書の概要の紹介を通じて、「過労死・過労自殺のいま」を垣間見ていきたい。
「序-過労死の歴史と現代-」において代表幹事である川人博弁護士は、「本書は、日本の過労死問題について、世界の人々の理解を広げるために出版したものである。当弁護団は、1991年に『KAROSHI』の英語版を出版し、世界の人々に過労死の実態を広める活動を行った。その後、30年余が経過したが、日本においては依然として過労死が後を絶たず、加えて、日本のみならず世界的にも同様の現象が増えてきている。/本書が働く人々のいのちと健康を守る研究と活動の一助になることを期待する」と述べている。
川人は、日本においては、少なくとも過労死は毎年1万件程度発生していると推定している。労災認定されているのは氷山の一角に過ぎないとしている。
本書の第1部は「過労死と過労自殺の事例」である。トヨタ自動車の事例では、3人の労働者の事例が紹介されている。うち2人は過労自殺され、行政訴訟で労働災害と認定されている。「遺族は語る」では、寺西笑子、西垣廸代、工藤祥子、高橋幸美の4人の過労死家族が寄稿されている。いずれも過労死家族の会の会員であり、「過労死・過労自殺のない社会」の実現を目ざして活動されている。また、厚生労働省の「過労死等防止対策推進協議会」の委員である(西垣は元委員)。
第2部は「過労死と過労自殺の分析」であり、次のような構成からなっている。
- 1 精神医学・公衆衛生学から見た過労死・過労自殺
- 2 過労死研究の経過と現代の課題
- 3 国際人権の視点から見た過労死と過労自殺の問題
- 4 ジェンダーの視点から過労死を考える
- 5 過労死110番運動の歩みと過労死防止の課題
執筆者は1(天笠崇)を除いては、弁護士である(執筆順に川人、須田洋平、石井眞紀子、松丸正)。精神科医師である天笠崇は、過労死と対比させながら、主に過労自殺について精神医学・公衆衛生学の視点から考察している。そこでは、過労死・過労自殺の共通点と相違点、うつ病との因果関係、精神医学的な課題などが述べられている。
2以降では、過労死原因の多元性と研究課題、長時間・過重労働の歴史的・国際的分析の必要性、労働法制等の抜本的改革へ向けての政策研究の重要性など(2);国連の宣言・条約、ILO条約、WHO・ILOの共同論文、「ビジネスと人権」から見た問題(3);「ジェンダー主流化」の観点から見た日本の女性労働者の特徴や、直面する課題(4);過労死110番運動の歴史を踏まえ、先ずは労働時間の適正把握が必要であることなど(5)を述べている。
続いて、付属資料(過労死110番への相談内容の推移)と「むすび-過労死をなくすために」(川人博)が掲載されている。そこでは、本書での提言が10の項目に要約されている。それは、①労働時間の上限の制限、②経営者ならびに監督官庁による長時間労働の実態把握、③必要な人員の確保、④労働基準監督官の増員、⑤消費者が過剰なサービスを求めない社会文化の形成、⑥公共性が高いとされる職務についている人々の働き方改革、⑦職場におけるハラスメントの防止、⑧過労死予防のための科学的知見の発展、⑨学校における教育(啓発)活動、⑩国際的な連携・国際機関での取り組みの強化、である。
わたしは勤務する大学においてささやかなものではあるが、ワークルール教育を実践している。それは「若者たちを無防備なままで社会に送り出さない」(本田由紀)という課題を念頭においてのものである。本書でも言及されている「労働問題・労働条件に関する啓発授業」を導入して過労死家族と弁護士を派遣いただいている。労働組合に関する講演も行っている。今年度の授業の感想を紹介したい。
授業を通して、働く前の段階で、その会社について労働時間や賃金をよく確認することが大切だと感じました。労働基準法からは割増賃金や休暇について考えるきっかけとなりました。また職場だけでなく、社会全体の法律やルールなどを知り、政治にも積極的に参加していくことが自分の労働環境を客観的に判断でき大切だということを感じました。
このように受講生たちは積極的に受け止めてくれている。引き続きワークルール教育を進めていきたいと思う。
同時に、改めて認識するのは、経営学における過労死研究の重要性である。わたしは過労死問題を専門としているわけではないが、過労死防止学会での研究を通じて、過労死・過労自殺を生じさせている日本の企業・経営(企業以外の組織体を含む)の問題性を明らかにし、その改革の展望を明らかにする必要性を痛感している。
本書(過労死弁護団全国連絡会議『過労死』旬報社、2022年)を広く市民の皆さんにお薦めするとともに、わたし自身が本書から深く学んでいきたいと思う。