■保険証廃止はマイナンバーカード普及のため
「行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律等の一部を改正する法律案」(マイナンバー法等改正案・3月7日提出)国会成立した。これにより何もしなければ2024年秋に健康保険証が廃止される。採決は「マイナ保険証」トラブルの大量発生が報じられる最中に強行された。政治の劣化ぶりに怒りを禁じえない。
国が保険証廃止を目指すのはマイナンバーカード普及のためであり i 、それほどマイナンバーカード普及がしたいのは、それが彼等の構想するDX(デジタルトランスフォーメーション)の要だからである。
2021年に「デジタル庁」が創設されて以降、デジタル技術を使った「社会変革」は国策として取り組まれている。国は大きく2つのことを狙っている。1つめは、デジタル技術を使った企業利益の増大、「経済成長」である。2つめに、個人情報を国家が把握し、政策に活用すること。そして「監視」に使うことである。以上の2つを達成するには個人情報の大規模な収集・活用が必要となる。そのために「マイナンバーカード」を全国民に持たせることが必要なのである。
政府の「デジタルガバメント実行計画」(2020年) i i によると、マイナンバーカードとの「一体化」が検討されているのは健康保険証だけではない。お薬手帳、医療券・調剤券、介護保険被保険者証、母子健康手帳、ハローワークカード、ジョブカード、各種国家資格証、在留カード、教員免許、学生証、障害者手帳、運転免許証、公共交通サービス、図書館カード等が挙げられている。マイナンバーカードに紐づけられる個人情報の範囲は為政者側が選択したものである。DXの目的が個人情報の利活用や監視だとすれば、それらの情報は彼らが活用したい情報だと考えておくべきであろう。
■医療DXがめざす情報プラットフォーム
それは医療分野でも同じである。医療DXに対する期待を表明する医療者は少なくない。たとえば日本医師会の幹部は「日本医師会が目指す医療DXについて、国民・患者により安全で質の高い医療を提供するとともに、医療現場の負担を減らすことにある」と述べている i i i 。だがこれは国の進めるDXの本質を見ない発言である。
医療DXと分かち難く結びついているのが「オンライン資格確認」であり、保険証廃止の直接的な契機となった。これは医療機関での「資格確認」を健康保険証ではなく「マイナ保険証」で行うものである。2023年4月から原則すべての医療機関にオンライン資格確認ができる機械(カードリーダー)の設置が義務づけられた。マイナ保険証をカードリーダーにかざすと、カードのICチップに内蔵された「シリアルナンバー」(電子証明書)と医療ID(被保険者番号)がつながり、「審査支払機関」(国保連合会、支払基金)のコンピューターから瞬時に「返信」が来て資格が確認される。この時、患者が「同意」ボタンを押すことを前提に「審査支払機関」が個人単位に蓄積する情報が医療機関に送られる。すると医療機関の側は「○×さんは△年に○○の手術を受け、現在は、◇という治療薬を処方されている」という情報を知ることができる。
この仕組みにより、医師は他病院・診療所の医師とも患者の情報を共有出来る。医療界が医療DXを評価するのはこの点である。国はこのシステムを医療以外の介護や自治体の保有するデータも含めた「全国医療情報プラットフォーム」に発展させようと考えており、すでに国は「電子処方箋」(2023年~)や全医療機関共通の「電子カルテ」(2025年)の導入を目指している。
■個人情報利活用から社会保障個人会計へ
だがそこには国の思惑が潜んでいる。自由民主党は「皆の個人情報を有効活用して皆の健康を目指す『個人情報の「公益」への活用』という発想の転換」という言葉を用いて、個人情報保護の規制緩和を求めている i v が、その背景に民間事業者が個々人のデータを活用し儲ける仕組みづくりという国家ぐるみの企てがある。
国の準備した「マイナポータル」を通じ、個々人はスマートフォン等から自らの医療情報の記録をみることが出来る。そのために必要なアプリケーションや記録に基づいた健康サービスを販売するのが民間事業者(PHR=パーソナル・ヘルス・レコード事業者)である。事業者は形ばかりの「同意」に基づいて個人に情報を提供させ、AIがプロファイリングし、サービスを案内し、利潤につなげる。ここに医療DXの狙いの一つがある。また国は以上のようなことが個人の行動変容をもたらし、医療費抑制につながることも期待している。
さらにこれが将来「社会保障個人会計」導入につながっていく危険性もある。マイナンバーカードを通じて、様々な個人情報の一元管理が進み、これを国家が活用すれば、医療・介護・税金・年金などに関わる個人情報を国は総体的に把握できるようになる。すると個人レベルで「負担と給付」も明確になり、小泉政権時代に提唱された「社会保障個人会計」(負担の範囲に給付を抑える仕組み)の導入も難しくなくなるだろう。そこまでいけば日本の社会保障制度が解体する。
■保険証廃止そのものが社会保障後退を招く
また保険証廃止それ自体が「国民皆保険」を後退させる。
保険証が廃止されると、医療にかかるにはマイナ保険証を使ったオンライン資格確認が基本となる。
だがマイナンバーカードの取得が困難な人はたくさんいる。例えば高齢・障害の施設入所者はカードの発行手続き自体、困難なケースが想定される。そうした事態への対応策のつもりなのか、法改正により保険者から新たに「資格確認書」なるものが交付されることとなった。
「資格確認書」は被保険者がオンライン資格確認を受けることができないとき「求めに応じて」交付される。ただし有効期限は「1年を限度」とされる(要するに毎年申請しないといけない)。
マイナンバーカードの取得・保持は任意であり、にもかかわらず健康保険証廃止によって保険医療機関にかかれない人々を発生させることは許容されない。だからこそ資格確認書は準備されるのだろうが、それでもなお保険証廃止自体、国民皆保険体制における受療権の著しい後退につながる。
国民皆保険体制の基盤である「国民健康保険法」は第1条(この法律の目的)に「社会保障及び国民保健の向上」を謳う。社会保障制度である以上、この国に暮らすすべての人に対して普遍的に医療保障がなされねばならない。
同法、第5条(被保険者)は「都道府県の区域内に住所を有する者は」「国民健康保険の被保険者とする」と定義している。これは国保が強制加入であることを意味しており、誰しも健康保険法等の被保険者になる等「適用除外」(第6条)対象者でない限りは居住地の国保の被保険者なのである。そして運用上、保険で医療にかかるには被保険者証の確認が求められている。である以上、保険証は全被保険者に無差別・無条件に交付されるのが当然なのである。
だが保険証を廃止すると、マインナンバーカードを保険証として使用するにも、資格確認書の交付を受けるにも本人の「求め」=申請が必要になる。これは受療権の行使に新たな「申請主義」のハードルが持ち込まれることを意味する。極論すれば皆保険は希望者にのみ医療を保障する仕組みへ後退するのである。
■短期被保険者証廃止で危惧される「いきなり10割負担」
さらに看過できないのが保険証廃止に連動した国民健康保険と後期高齢者医療制度における「短期被保険者証」「資格証明書」の廃止である。
資格証明書は「特別な事情」がないまま、1年以上保険料を滞納していると被保険者証に代えて交付される。そうなると療養の給付が「特別療養費払い」(償還払い)に代えられる。すると患者は保険医療機関窓口で一旦全額(10割)を支払わねばならず、事実上医療にかかれなくなる。
これは保険料支払いの有無が「生存権」保障とダイレクトにつながる悪質な制度である。そこで住民の運動は保険者である地方自治体に対し、資格証明書を交付させず、せめて短期被保険者証を交付させ、自治体が滞納状態に陥った被保険者に寄り添い、生活を把握し、相談しながら滞納解消を目指すよう求めてきた。
だが資格証明書・短期被保険者証が廃止されるとその「歯止め」がなくなる。地域の運動が現場レベルで資格証明書交付を食い止め、医療にかかれない事態を防いできた重要なツールが失われるのである。言い換えれば自治体の国保行政における裁量が制限され、保険料支払いの有無がダイレクトに医療保障とリンクすることが危惧されることになる。
なお医療機関は「オンライン資格確認」システムで当該患者が保険料滞納による10割負担対象であることがわかる。資格確認書にもそれは記載される見通しである。
すなわち個人単位で「負担と給付」の関係が把握され、負担なきものは医療を受けられない状態が作り出される。これは近い将来の「給付と負担の関係の明確化」による社会保障総改悪(解体)の糸口になるであろう。
■医療を守り、人権を守るために
国会成立は強行されたが引き続き保険証廃止を少なくとも凍結させ、あるべき社会と医療のDXを実現する運動が必要である。
3つの課題を試論として提起したい。
1つは、来年秋に予定される保険証廃止をとにかく実施させないことである。メディアを賑わすマイナ保険証をめぐるトラブル事例は、紙の保険証が引き続き必要であることを証明している。事例を集めての告発、地方議会からの意見書、署名等あらゆる手を尽くして保険証廃止を食い止めねばならない。
2つめは、住民の誰ひとり保険証・短期保険証廃止によって「いきなり10割負担」に陥らないよう「高すぎる保険料」の解消の運動を強め、同時に自治体・保険者の裁量を認めさせ新たな資格確認書の全員無条件交付を実現することである。
3つめは、自己情報コントロール権を法的に確立させることである。医療情報はじめ自己情報は自分のものであり、自分の意思を無視して情報が国家・企業の企みに開放されることを許してはならない。最低限3つの仕組みが必要である。①国・企業などによる自己情報の勝手なプロファイリングを法律で禁じること、②データベース上に記録された過去の記録(データスティグマ)の削除・閲覧禁止といったコントロール権を法律によって保障すること、③自分の情報をつなげるネットワークは自分で選択できるよう法律によって保障することである。
為政者のいう、「公益」のための活用論を正面から批判し、「人権保障」とDXの完全な両立の実現をめざす構想と運動が必要である。
社会全体のデジタル化を人権意識の希薄な為政者たちに任せてはならない。自己情報コントロール権なしのDX推進は犯罪に等しい。DXに罪があるわけではなく、DX推進の動機と手法が問われているのである。自身の情報を把握され、「管理」される側である私たちの、ここからの運動が試されている。
おわり
〈図出典〉
図1デジタル庁HP
https://www.digital.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/8db62cdf-8375-4c4f-b807-8d98595b67e8/5a0f065d/20230307_laws_law_outline_01.pdf
図2医療DX推進本部(第2回 6/2)《内閣官房》
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/iryou_dx_suishin/dai2/gijisidai.html
図3厚生労働省HP
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_08280.html
図4厚生労働省HP
https://www.mhlw.go.jp/content/10808000/000992373.pdf
i であれば既に人口の8割に迫る人が申請していることからその企みは成功しており、いよいよ保険証廃止には理由がない。6月11日現在の有効申請受付数は全人口の77.2%である。
https://www.soumu.go.jp/kojinbango_card/kofujokyo.html
i i デジタル庁HP
https://www.digital.go.jp/policies/priority-policy-program/
i i i 「医療DX2023 DX推進の現状と将来の展望 ―DX推進のためにできること、すべきこと―」をテーマに開催、令和5年(2023年)3月20日(月) / 日医ニュース
https://www.med.or.jp/nichiionline/article/011086.html
i v 提言「医療DX令和ビジョン2030」の実現に向けて(2023年4月13日)