処理汚染水の海洋放出の不合理性と非科学性
市川 章人(京都自治体問題研究所・原子力災害研究会)

第1部 汚染水対策における根本的誤り
(1)地下水流入対策の失敗
(2)汚染水の陸上保管継続に有効な代替策を無視
(3)核燃料デブリ取り出し方針の不合理性
第2部 非科学的で欺瞞的な「海洋放出の安全性」宣伝
(1)トリチウム水の危険性の軽視と有機結合トリチウムの存在の無視
(2)これまで伏せてきた日常的事故放出を居直り、事故汚染水放出の口実に

はじめに

 8月24日政府・東電は、福島第一原発のALPS処理水について「関係者の理解なしにはいかなる処分も行わない」という漁業者・国民との約束を破り、海洋放出を強行した。政府は7月4日の国際原子力機関(IAEA)の報告を歪めて「海洋放出の安全性が確認された」と大宣伝し、メディアもこれを無批判に垂れ流し、環境再汚染であるにも拘らず「海洋放出は科学的に正しい」という誤解を広めた。
IAEA Comprehensive Report on the Safety Review of the ALPS-Treated Water at the Fukushima Daiichi Nuclear Power Station

第1部 汚染水対策における根本的誤り

【図1】Advanced Liquid Processing System多核種除去設備(資源エネルギー庁HPより)

 今、汚染水とか放出反対を口にすれば、他国を利する国賊と言わんばかりにバッシングされる異常事態まで起きている。しかし、ALPS処理水は放射性水素(トリチウム)だけではなく、ALPS(多核種除去設備)【図1】を通しても完全には除去しきれない種々の事故由来放射性物質(炭素14、ストロンチウム90、セシウム137、ヨウ素131等)が残留するれっきとした放射能汚染水である。

(1)地下水流入対策の失敗

 汚染水の増加は、壊れた原子炉建屋に大量の地下水が浸入し、核燃料が格納容器の床まで溶け落ちでできたデブリに触れることで生じる。したがって、地下水の流入そのものを止めることなしには解決できない。

①切り札とされた凍土遮水壁の失敗
【図2】凍土遮水壁のイメージ

 遮水壁の建設には、既存工法ではなく、実績の少ない凍土壁が採用された。仮設構造物である大規模凍土壁には当初から反対する土木の専門家があり、原子力規制員会も効果を疑問視したが、事前の検証が不十分のまま2013年9月10日閣議決定された。安倍首相がIOC総会で“under control”と大見えを切った3日後である。

 国費345億円を投じて約1600本の凍結管(30m)【図2】を打ち込んだが、凍結開始から7年を超えた今も地下水流入は止まっていない。その間1000トン級タンクを次々設置し、汚染水を貯めてきたが、「タンクが満杯になる」「廃炉作業の敷地確保のためタンクを減らす必要がある」という理由で海洋放出を強行した。凍土壁維持には毎年10数億円かかる。

②新たな広域遮水壁建設の提案

 凍土壁の失敗を受けて、さらに広くて深い恒久的な広域遮水壁の建設を地学団体研究会が提案している【図3】。セメントを用いる工法で、費用も凍土壁の半分以下という。規制委員会の特定原子力施設監視・評価検討会も広域遮水壁の検討を求めている。

【図3】広域遮水壁の平面図と断面図(地学団体研究会「福島第一原発原子力発電所の地質・地下水問題―原発事故後10年の現状と課題―」2021.7に基づき作成)

(2)汚染水の陸上保管継続に有効な代替策を無視

①汚染水の陸上での長期保管は避けられない

 一方、約134万m3に達した汚染水は、海洋放出を続けてもすぐにはなくならない。トリチウムは、放出前のタンクに約780兆Bqが含まれ、原子炉建屋なども合わせ最大1720兆Bqである。年間放出上限が22兆Bqで、東電は放出完了を2051年とするが、今も毎日約100m3の汚染水が増えており、単純計算で30年累積すれば約100万m3になる。結局、汚染水の長期保管は避けられない。
Bq(ベクレル):放射能の強さ。放射線を出して崩壊する原子核の1秒間当りの個数で表す。

②既設タンクは安全ではない
【図4】福島県沖地震(2021.2.13)におけるタンク群の滑動事例
(原子力規制員会への東京電力の報告2021.10.11より)

 タンクが1000基を超えるため、アクセスやメンテナンスが困難であり、パトロールや作業での被ばくも深刻である。

 さらに、既設タンクは地震時の汚染水漏出リスクが高い。2021年2月の福島県沖地震ではタンクが多数滑動し160基に及んだ。土台に固定されておらず、しかも互いに下部で汚染水を通す連結管でつながれていた。28cmもずれ、破断寸前の連結管もあった【図4】。

③陸上保管の有効な代替策
【図5】サバンナリバー核施設モルタル固化例(同施設のHPより)

 したがって、既設タンクに頼らない保管が必要であるが、原子力市民委員会は早くから2つの有効で現実的な代替案を示してきた。

 一つは、モルタル固化である。汚染水をセメントと砂でモルタルにして永久的に固める方法であり、流出リスクもなくなる。すでにアメリカの核施設で実施されている【図5】。

【図6】10万トン級タンク(81.5mΦ.24mH)
(むつ小川原石油備蓄株式会社HPより)

 もう一つは、現在、国家石油備蓄基地で使用している堅牢な10万トン級タンクによる保管である【図6】。タンク設置場所として7・8号機の建設予定地(中止)とその後背地があり、20基設置可能である。また、123年程度の保管により、半減期12.3年のトリチウムの量は1/1000まで減衰する。

(3)核燃料デブリ取り出し方針の不合理性

①極めて危険なデブリ取り出し

 福島第一原発事故の後始末の最大の課題はデブリ取り出しとされ、その保管にタンクが邪魔という。しかし、デブリの取出しは本質的に不合理である。

 最大の難問は、極めて高線量の作業環境、とりわけ放射性ダストの対流・浮遊による被ばくである。デブリが1gでも1兆Bqを超える致死量になる。プルトニウムなどアクチノイド核種による内部被ばくは骨髄、肺、肝臓などの重大疾患を引き起こす。恐るべき被ばくリスクを考えると、全量取り出し(推定880トン)は不可能に近い。

 取り出しても新たな高線量エリアを増やすだけであり、破壊工作を含めかえってリスクが拡大する。

②困難極まりないデブリ取り出しをやめ、半永久的隔離保管を

 福島第一原発のデブリ取出しは世界で経験のない未知の作業である。何億円もかけ開発した調査ロボットが高線量の下わずか30分で壊れるなど、技術開発も作業も困難を極めている。当初の作業工程「中長期ロードマップ」は、「燃料デブリ取り出しの開始2021年内。その後30~40年後に廃炉措置終了」としていたが事実上破綻。取出し費用も、東電は「2021.3~2032.3の準備に1兆3700億円」「その後は想定困難」(2020.3.30時点)としており、青天井になる。

 これに対し、原子力学会・廃棄物検討分科会は、廃炉作業の再検討を促す報告「国際標準からみた廃棄物管理」を公表(2020年7月)。示された方策の一つに、デブリ取り出し作業を遅延させ100年ほど保管し、その後に解体という「安全貯蔵」が挙げられた。廃炉検討委員会の宮野廣委員長も「やみくもにデブリ取り出しを進めるべきではない」と警告した。

 しかし、原子力学会の示す「安全貯蔵」の場合でも100年後に取り出し作業ができる保証はない。原子力市民委員会は、200年後でさえ高線量で格納容器に近づけないことがあり得ると指摘する。したがって、デメリットしかないデブリ取出しは止め、外構シールドで原子炉建屋を囲む半永久的な隔離保管を選択すべきである。これは、技術、コスト、作業被ばく、環境等の面で最も合理的で実現可能な方策と考えられる。

第2部 非科学的で欺瞞的な「海洋放出の安全性」

 政府は、海洋放出の閣議決定後、「科学的根拠に基づく正しい情報」を発信するとして各省庁総がかりで世論工作を進めた。その典型が復興庁と資源エネルギー庁が全国の学校に約230万枚直送したチラシである。これには印象操作と断片的事実による誤導と不都合な事実の隠蔽が至る所に見られ、安全宣伝の非科学性と海洋放出の道理の無さを示している。

 以下、復興庁チラシ【図7】に沿って問題点を指摘する。

【図7】復興庁のチラシ:2021年末から文部科学省の「放射線副読本」に同梱して全国の中学校・高校に直送

(1)トリチウム水の危険性の軽視と有機結合型トリチウムの存在の無視

①「どこにでもある=安全」と思わせる印象操作
【図8】トリチウムとトリチウム水

 「トリチウムは身の回りにたくさんあります」と強調して安全であるかのように思わせているが、どこにでもあるのは逆にトリチウムの特別な危険性を示す。

 トリチウム【図8】は、他の放射性物質のようにすぐには沈着せず、長期にわたって水や大気中を循環するため、あらゆる場所を汚染環境に変える。細胞に被害を与えやすいベータ線を出し、半減期12.3年で放射能の強さが10分の1に下がるのに40年かかる。

 また、人体(成人)を構成する原子個数の約63%が水素であり、水としては成人男性で体重の約60%、胎児で90%も占める【図9】。そのため、水素であるトリチウムは人体の隅々まで浸入し内部被ばくを起こす。

【図9】若い世代ほど多い水の割合
②トリチウム水はすぐ体外に出るかのようにごまかす

 トリチウムは「体内に入っても蓄積されず、水と一緒に排出されます」とあるが、飲むのは1回きりではない。何年も続く海洋投棄によって毎日飲むことになり、体内に常に残留する。

③有機物に組込まれるトリチウムを無視

 復興庁チラシは、最も重要な有機結合型トリチウム(OBT)には一切触れていない。自然界では光合成によってトリチウム水と二酸化炭素からトリチウムを含む炭水化物ができる。これがさらに、たんぱく質や脂質になる。これらを有機結合型トリチウム(Organically Bound Tritium)といい、人が食べることでDNAを含め体の構成要素になる。

 生物学的半減期(体外へ排出される速さの指標)は、トリチウム水の10日に対し、OBTでは1年近くから最大550日というデータもあり、内部被ばくリスクは格段に高くなる。

【図10】脂肪酸の一つパルミチン酸(Tはトリチウム)

 また、脂質は水素含有率が極めて高いためトリチウムの割合も高く【図10】、脂質の多い脳(60%)や生殖細胞に被害リスクが集中する。脳腫瘍や脳機能障害(発達障害、認知症、パーキンソン病など)との関連を指摘する研究がある(脳神経科学者黒田洋一郎氏、木村・黒田純子氏)。

 さらに、海洋食物連鎖による生物濃縮が非常に高いことを指摘する研究もある(「トリチウム水と提案されている福島事故サイトからのトリチウム水海洋放出について」Tim Deere-Jones 2018)。

④トリチウムでDNA修復の困難性が増加

 DNAは2本1対の長いらせん構造をもち、構成要素に水素原子が多い【図11】。トリチウムが構成要素になれば、ベータ線によってDNAが切れ、ベータ線放出後のトリチウムはヘリウムに変わるが、ヘリウムに結合力がないためここでもDNAが切れる。2本とも切れる場合、まちがったDNA修復が起きやすくなって、癌などの発症リスクが高まる。

【図11】DNAの一部とさらに拡大したイメージ
⑤公的機関によるトリチウム被害の報告

 「トリチウムが原因と思われる影響は見つかっていません」とあるが完全なウソである。カナダでは原発周辺で健康被害が早くから問題になり、調査にあたったオンタリオ州飲料水諮問委員会は、乳児のダウン症や白血病、死亡などの多発を原発のトリチウムの影響と指弾し、水質基準を厳しく規制した結果、被害が減ったことを報告した(2009年)【図12】。本来被ばくの影響は細胞分裂の活発な胎児・乳幼児に生じやすいが、水分の比率も高いため、乳児に被害が集中したと考えられる。

【図12】カナダの原発と「オンタリオ州の飲料水のトリチウム水質基準に関する報告と勧告」表紙(2009)

Report and Advice on the Ontario Drinking Water Quality Standard for Tritium /約1MB

(2)これまで伏せてきた日常的放出を居直り、事故汚染水放出の口実に

①少なければ問題ないと思わせる印象操作

 復興庁チラシは、1000基以上あるタンク中の純トリチウム水を「目薬1本分」と表し、少なさを強調する。しかし、放射性物質の特徴は日常感覚的にはごく少量が重大被害をもたらす点にある。福島原発事故で大気中に放出された放射性ヨウ素は108gである。プルトニウムなら1gで百万人に肺癌を発症させうるほど危険である。

②薄めても総量は変わらず、タンクから環境中への移動である

 「100倍以上に薄める」とあるが、年間最大22兆Bqという放出基準は、事故前に福島第一原発が放出していたトリチウム水の平均値1.35兆Bq/年の16倍もある。しかも、事故由来の様々な放射性物質も残留している。

 薄めれば、確かに濃度は規制基準以下やN.D.(検出不可)にできる。しかし、総量が減るわけではなく、次々と陸から海へ移動していく。

 放射性崩壊による総量の減少を考慮しても、トリチウムが30年後に約5分の1になるものの、事故由来放射性物質には半減期が長くほとんど減らないものがある(炭素14、ヨウ素129、プルトニウム239等)。しかも、環境への放出について総量規制はなく、成り行き任せであり、結局、多様な放射性物質が環境に累積され新たな汚染が進行する。

③通常運転中のトリチウム放出をこれまでは伏せてきた

 政府は海洋放出をする段階になって、世界中の原子力施設が通常運転中にトリチウムを放出していることを公表した【図13】。

【図13】資源エネルギー庁「多核種除去設備等処理水の取扱いに関する小委員会」による報告(2020.2.10)より一部加工

 しかし、福島第一原発事故が起きるまでは、むしろ逆の宣伝をしてきた。小・中学生向けのエネルギー副読本(文部科学省・経済産業省発行)では、原子力発電のしくみを紹介し、放射性物質を「五重のかべ」でしっかり閉じ込めているとして、安全性を強調していた【図14】。

【図14】『チャレンジ!原子力ワールド中学生のためのエネルギー副読本』(文部科学省)より(一部加工)

 実際には、通常運転においても、核燃料被覆管にできやすいピンホールや装置の隙間からトリチウムや揮発性のヨウ素、希ガスなどの放射性物質が漏れる。

 とくに、加圧水型軽水炉では、冷却水に加えたホウ素からもトリチウムができるため、沸騰水型よりけた違いに多く、年平均値もALPS処理水の放出基準を超える【表】。再処理工場は「原発1年分を1日で出す」といわれるほど様々な核種を大量放出する。

 現在、世界の原子力施設が放出するトリチウム合計は年間5.0京Bqと推定され、自然界の年間生成量(最大7.4京Bq)に匹敵する。

④原発、ALPS処理水海洋放出 ともにやめるのが道理

 政府がこれらの事実をあえて公表したのは、ALPS処理水の方がましだと思わせ、放出の受忍を迫るためである。しかし、原発の運転が必ず環境汚染を伴うこと自体が問題であり、ALPS処理水の海洋放出もしなくて済むことを約束に反してまであえてする暴挙である。原発、海洋放出ともにやめることが道理であり、居直りは許されない。

★IAEAは、海洋放出の政府決定を追認はしたが、推奨はしていない
 もともとIAEAは原子力利用促進のための機関。基準は原子力施設の安全性に重きがおかれ、環境保護や人権といった観点からは必ずしも中立的ではない。
 今回、IAEAの報告書は包括報告書としながら、安全基準の全項目について包括的に評価したわけではなく、ALPS処理水海洋放出の「科学的根拠」にならない。
➊海洋放出以外の選択肢について評価していない。
➋海の生態系や漁業への長期にわたる影響を評価してはいない。
➌世界で初の事故炉の汚染水である点の認識と評価が不十分。
➍IAEA 安全基準のうち、次の2点を挙げながら見逃した。
   a) 正当化の原則(利益>損害)        b) 幅広い関係者との意見交換
 しかも、政府・東電提出資料に基づき日本政府の決定を追認はしたが、推奨はしていない。それは、報告書序文でグロッシ事務局長が次のように述べていることから明らかである。
Finally, I would like to emphasise that the release of the treated water stored at Fukushima Daiichi Power Station is a national decision by the Government of Japan and that this report is neither a recommendation nor an endorsement of that policy.
【日本語訳】最後に、福島第一発電所に保管されている処理水の放出は日本政府による国家的決定であり、この報告書はその政策を推奨したり支持したりするものではないことを強調したい。